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度量の大きい(広い)ということは

ふっと考えた。度量が大きい(広い)とはどういうことなのか?

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人間は常にだれかと接触している。そして多くの人と接触すれば、常に差が生じ、時には相手を助けたり、 又は傷つけたりして生活している。

幸い、現在 私が心の中で尊敬の心を持ちながら接している周囲の人は皆度量が大きいと感じている人達なので心地良く過すことができているというのが本当のところでもある。

なぜならば、勿論のこと 各個人における知的レベルもさまざまであるが「3人寄れば、文殊の知恵」という言葉が有るとおり、何かをするとき、自分の思考を硬化させないで相手の意見・考えを自分の意見・考えの中に素直に取り込むことができ、自分の考えの向上を図れる人がほとんどだからである。

だからこそ何事もなかったようにベストの状態で落ち着くところに落ち着くのである。

人間それぞれは多様である。これを全ての前提として良いと思ったことは素直に認めなければ、その人間は進歩しないと考える。過ぎた卑下や、 過ぎた謙遜も不要である。しかし、ある程度の自信は持つべきである。


このようなことを考えると結局度量が大きいということは常に中庸の心を持つことなのかもしれない。

たとえば少数意見だとしても 何故そのような考えがうまれたのか?どうしてそうなったのか?と思いを馳せ、そこに寛容の精神を働かせることのできる人間は度量の広い人なのだろう。

そしてまた、世間の噂や中傷にも心動かされず正しい事を貫き通す事のできる人も度量の大きい人と言えなくもないだろうか。

故に半面 少数意見に耳を傾けられない人、嫉妬心を露わにする人、すぐすねたり いじけてしまう人の類は「 度量が狭い 」と言えるのではないか?と自分なりに考えをまとめたのだった。

そして、己は 常に度量の大きい人でありたい・・・・とつい最近考えさせられたひと時があった。











by aakinishi | 2014-01-23 13:44
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