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船橋市海外女性セミナーに参加して  1997年9月23日~30日の記憶

過去の書類などを整理していて懐かしいものを見つけた。
今日はこれを記憶の一つとして自分のブログに残そうと思う。

記録:
20世紀も終わりに近づき私達の身近な世の中では福祉問題、環境問題、少子化、高齢化問題などなどがクローズアップされ、あらゆることが情報化や国際化の波を受け、今や社会全体が大きく変化しつつある中、女性と男性が共によりよい意識を持ちあって躍動とゆとりある生活ができる社会を築く事が本当に大切な時代になってきたと思われます。

ふるさとの清水を離れ早や27年。

今はすっかり腰を落ち着かせ居住している船橋市では2年に1回女性問題の取り組みも国際的視野でとらえ日常の生活に生かしてゆくことができるようにと市民女性を姉妹都市を中心に海外に派遣し、教育、文化、福祉施設などの視察を通して女性の社会参加や、社会的条件整備の状況を研修するとともにホームヴィジットなどによる現地女性との交流を通して姉妹都市間の友好親善と平和に貢献する事を目的とする事業、・…すなわち海外女性セミナーと称するものが有ります。

昨年の9月、団長に任命された私と9名の団員、随行員1名、計11名でアメリカの姉妹都市ヘイワードを中心にサンフランシスコ、ロスアンゼルスを訪問し、有意義な視察と研修を重ねてまいりました。

市の関係者にみおくられ,成田を発ち約9時間でサンフランシスコに到着。

姉妹都市委員の方々の出迎えを受け、(これは後から知りましたが姉妹都市委員としてかの有名な鶴本世津子さんとWes さかもとさんでした)一通りのあいさつをしたのち、その日は早速専用バスで市内視察となりました。

サンフランシスコの3大名物は坂と霧と虹色の旗(これは同性愛者のしるしだそうです)だとガイドさんが言っていました。

43あるという急勾配の坂に今にも滑り出しそうに駐車している車の列。

地震に備えて左右に連結状態にたてられた建物、美しいビクトリア朝の家並み、どれもが独特な風景に思えました。

あおい空と海にくっきりと際立つレンガ色のつり橋-金門橋-。此の橋げたを支えるメインケーブルは数万本のワイヤーを使っているという。私達は橋の上から湾の眺望を満喫しました。

雲ひとつない明るい太陽のもと、湾、3大ブリッジ、市街全域風景も見渡せる丘・・・ツインピークスでは広大なアメリカを再認識できました。

翌日からはサンフランシスコのホテルを拠点に視察先の予定がぎっしりです。

先ず、ヘイワード市を訪れ女性の市長( クーパーさん )を表敬訪問しました。

姉妹都市のヘイワードはカリフォルニア州中央部、サンフランシスコ湾の東岸にあり、人と自然環境保護への配慮が行き届いた緑美しい街です。地の利の良さと好天候、黄金の丘の町として注目を浴び現在は商工業、金融業、教育の中心地として、また交通の便の良い快適なベッドタウン、ショッピングセンターとして発展を続けているそうです。

学校で生徒たちが話す言語は27か国語に及ぶという多民族、多文化を要するコミュニティーで、街作りや市民参加の行事などにもその多様性が生かされています。

大都市サンフランシスコのベッドタウンとして人口が増加した事、湾岸都市であることなど、都市の形態や地理的条件などが船橋市と類似しており、両市の姉妹都市関係は1986年に結ばれ、それ以来 市民、学生、市職員、商工会議所などの間で数多くの交換と訪問が活発に行われ友好関係が深められてきたのです。

市長室へ案内されると控室には船橋市との友好の品々がガラスケースに陳列されており、両氏の深い交流を感じました。市長はわたしたち一人一人と握手を交わし、にこやかに歓迎の意を表明して下さり、どんな質問にも答えること、この訪問が実り多いものとなるよう出来る限りの協力をするといって下さいました。質問に答える形式で来船された時の印象、市長になられた経緯と抱負、議会の問題、女性の社会参加と政治参画について率直、かつ詳細にお話していただきました。

その節、団長としての私のあいさつ、船橋市長からの親書とともに団員からのおみやげの一つとして用意した「和」一文字の色紙をお渡しし、文字の読みかた、書体のことを説明し、、意味については日本は古来より人間関係の「和」すなわち強調、融和を重んじてきたこと、「和を以って尊しと為す」という聖徳太子が日本初の憲法第1条に定めた言葉であること、尚これが私達団員のひいては全ての対人関係をスムースに運ぶ秘訣としての合言葉的存在であること、そしてまたこの文字は「平和」の意でもあることを説明すると、市長は大変喜んで下さり感慨深げにご覧になっておりました。

教育関係としてカリフォルニア州立大学ヘイワード校と市立船橋高校の姉妹校モロー高校を訪れました。この両校ともトップの地位に座すのは女性でした。流石と思いました。

モロー高校は全米屈指の進学校で生徒数1250名の男女共学制。75%の学生が車で通学しているそうで校内には広い駐車場が有り整然と駐車されていました。

校長のお話によると授業の単位の中にボランティア活動が義務つけられていること、多くの学生はアルバイトをして学費に充て、卒業後はほとんどが家を出て自活するという。自立と奉仕の精神が浮き彫りされていました。

広いカフェテリアで様々の昼食をとりながら談笑する姿や真剣に取り組んでいる授業風景の折の物おじしない笑顔と、自信に満ちた姿などからして明るく伸び伸びと学生生活を送っている様が伝わってきました。ちなみに問題などは皆無であるとのことでした。

大学での興味ある話としては、この大学では特に女性の通学の機会について考え 色々な理由で学業を中断した女性を歓迎し、出産後の女子学生のために相談にのったり、子ども連れの学生の為には育児室も完備しているとのことでした。

実際キャンパス内で子ども連れの学生を多く見かけました。

再入学した老学生たちはowl(old wise learner)という知恵の動物フクロウにちなんだ名の団体を組織し互いを知って助け合って勉学に励んでいて、総長自身も将来此の仲間に加わりたいとおっしゃいました。

又、NIPというにアメリカの教育委員会が高等教育行政に置ける女性の向上のために

1977年に初めたプログラムで1997年高等教育における女性指導者のネットワークに変わり全民族的バックグランドからの女性を含む事に留意し、最終目的は女性のリーダーシップを促進し、大学教授陣の育成や女性の学部長、大学の管理者として女性を男女同等に組み入れてゆく組織が各州にあるという事でした。

これらの話は会議室の窓から眺めたキャンパスの色々な施設や周囲の広さや環境の良さとともに(流石 アメリカ!)という感想を持ちました。

女性問題の視点で(シェルター)施設を訪問しました。施設の目的は身近な人からの暴力や虐待から逃れてきた女性や子供を受け入れ、支援、擁護をし、教育を通して自立のための色々なニーズにこたえて暴力繰り返しのサイクルをストップさせることに有り、その活動は地域に密着し、被害者が危機的状況を打開し暴力のない生活を確立するまでのあらゆるサービスを提供していて ベイエリアには約30の施設が有ってその活動をボランティアが支えているのだそうです。女性や子供に対する暴力の実情は増加の一途で近年は警察も介入するほどに重大な問題とされていて私達の滞在中にも州の新聞に大きく取り上げられていました。資料によれば年間400万~600万人の被害が有り、暴力による怪我は強盗、自動車事故、レイプすべての合計より上回っているとのことでした。

カリフォルニァ州のシェルターも毎年約9万人の被害者が施設が不十分なため入所できないという現状でした。

そしてまたNOWという女性の権利の問題に取り組む組織でも今もなお、一進一退の運動を懸命に展開中であるということも知り最たる民主主義の国、フェミニストの国と認識してりたのだが(これもまたアメリカ!)と交々の感想を持ちました。

福祉関係として尋ねた施設の有料老人ホームは交通至便の地にありました。

大きな木製の観音開きのドアーから中へ入ると右手には太陽の日差しがレースのカーテン越しに見える明るいテラスルームがあり、左手には郊外のレストランを思わせる総ガラス張りの大きな食堂、コーナーには美しい花々が生けられた大きな花瓶、正面には接待係画座していて明るくあたたかい雰囲気に団員の中から「ホテルミたい!」と声が上がったほどでした。

多目的アクティビティールームではハワイアン教室が開かれていてホールに響き渡るウクレレと楽しげな歌声に老人ホームに対するイメージは一変いたしました。

真っ赤なクロスがかけられたテーブルの前に集う車いすの老人たちは「スキヤキ、アリガト、サヨナラ」と片言の日本語混じりの歌で私たちを迎え入れてくれました。

此処では私達も飛び入りで、ささやかな返礼として世界はひとつ、「It’s a smoll Warld」)を手話を伴って歌ったところ、非常に感激され交わした握手の手をいつまでも離さず、音楽を通して気持ちを通い合すことができた一幕でもありました。

老人ホームに入居することについてアメリカ人としての考えを聴いたところ、現役時代は忙しい生活を送ってきたので、老後はこのような施設でのんびり生活したいと考える人が多く、入居当初は多少不安で寂しかったが、すぐに慣れ 家族が忙しくて訪問できなくてもそれを疎遠と考えない。老後は子供に頼らないで過ごすことが一般的だ と淡々とお話し下さいました。

ヘイワードの元市長ジュリアーにご夫妻もこのホームに入居されていたことは私達の感覚からすると少々意外ではあったが個人主義が徹底し、自分のことは自分で・・・という独立精神のアメリカ人の顕著な考えと日本人の従来からの考え方の相違が浮き彫りされたように感じました。日本人も老若男女、互いに割り切り方を上手にして、物事をポジティブに考えたならきっと明るく生き生きとした老後を過ごせるのではないか?と見識を新たにした次第です。

このほか、シニアセンター、自然保護センター、日本庭園、市営劇場、スーパーマーケットなど、数多くの視察、見学、そしてその上に歓迎会、ホームビジット等々、その都度素晴らしい接し方と交流をして頂きました。その返礼に私たちからの答礼パーティーなど、本当に数多くの素晴らしい体験をし、此のセミナーに参加できたことを心から良かったと思いましたし、この旅は実に実りあるものだったと痛感いたしました。

これらは一重にヘイワードの姉妹都市委員の方々や、その多くの人々との出会いの中での心温まる、心に残る交流が有ったからこそであり、こうして生じた友好関係こそが今までも、これからも全ての根底となる気がします。

様々の感想を持つ事が出来たこの旅の見聞や体験を明日からの力のもと、活動の源として今後に生かせるのでは!と確かな手応えを感じています。

特にMr. & MrsTURUMOTO からのお世話は生涯 忘れることはないでしょう。


by aakinishi | 2016-04-10 15:43
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