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「父の日」に・・・・・

6月第三日曜日(6月19日)は「父の日」である

先日インターネットでこの「父の日」についての記事を見た。

そもそもの由来については次のようであった。

1909年6月19日(第三日曜日)に「父の日」の制定を「聖職者同盟(牧師協会)」が提唱。
そしてその後、「父の日」の行事は各地へ広まり、1916年には第28代ウイルソン大統領によってアメリカ全土で行われるようになった。
アメリカで正式に「父の日」が祝日となったのは、1972年のことである。

父の日の由来は、アメリカに住む「ジョン・ブルース・ドット婦人」の提唱によるものという。

彼女の父親が、国のため従軍している間、その母親は懸命に一家を支えてきたのだが過労の為体をこわしてしまい、父親の復員後、間もなく亡くなってしまった。父親は悲しみにくれている間もなく、その後、ドット婦人ら6人の兄弟を男手一つで立派に育てあげた。そんな父親の姿に感謝し彼女は「母の日」の制定と同時に、父に感謝する日も必要であると感じ、「父の日」制定の運動を展開し、今日があるという。
 
日本の「父の日」は、1950年頃から広まり始め、一般的な行事となったのは1980年代である。「母の日」はカーネーションが定番になって登場するが「父の日」は健在している父には赤いバラ、亡くなった父には白いバラとなっているらしい。この由来も、ドット夫人が父親の墓前に白いバラの花をブルーのリボンでつつんで供えたことから始ったのだそうである。

子供が両親に感謝の念をあらわすのはよいことである。普段感謝の気持ちを伝える機会が無い者もこの日は恥ずかしがらずに出来るから、大いに伝えて欲しいものである。

因みに、某テレビ番組で「父の日」のプレゼントの売行き筋について放映していた。それによると
1位. ネクタイ 2位. お酒・ビール 3位. 腕時計 とか。


我が家にも「父の日」より2日ほど早くプレゼントが届いた!。
私が正月か、来客の時にしか奮発しないようなグルメ用の最高級の海の幸が!

父親が晩酌をするのを周知の上で送られてきたよく身のついたズワイガニ、タラバガニ、ダンジネスクラブなどなどの海鮮食品に、最初はこんなにたくさんどうしようかと思い悩むほどではあったが、この日より「父」のみならず「母」もお相伴に預かりたらふく頂き、満足感を味わっている。

夫婦二人、毎晩、美味しいお酒に美味しい酒の肴で 静かな夕餉を送れることに感謝し乾杯!!子供たちよ ご馳走様! ありがとう!
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by aakinishi | 2005-06-18 13:31

雑感・・・生き方の色々-1  (娘)

d0053828_1181227.jpg人には色々な生き方があるものだと感じる時がある。
バブルがはじける以前、長女は丁度就職活動最前線を通り抜け、マスコミ、金融、メーカー、流通など等今では考えられないほどの内定の数を受け、どれに決めようか迷うほどの体験をした。その中で給与体系も仕事の内容も男性と同じという、いわゆるある大企業の総合職というところに身を置くことに決め彼女の新しい人生が始まった。これはいわゆる今もしきりと物議をかもしている男女共同参画社会への第一歩だったのだと思う。彼女の就職先の給与はその頃の企業の中でも大変良い条件だったように記憶している。

”私は会社と心中はしない”とはっきり言い切っていた彼女では有るが正にそのとおりの行動をとった時はやはり驚いた。

努力型の娘は就職後も、こつこつ常に机に向かって何かをしていた。それはこんな事だったのかと今にして思えば納得も出来るのだが、就職してから2年半があっという間に過ぎて行ったある日、突如彼女は「アメリカの大学院に行く事にした、お金の事は計画的にしているから迷惑は掛けないから」と、親の私たちには事後報告をし、親元を離れ、アメリカで生活をしながら勉強もしなければならないということに何の不安もないような顔をして単身アメリカへ旅立っていった。

しかもである。驚いた事に2年半でこんなにも蓄えられたものかと思うほどの貯金通帳を私に預け、「手続きは完了してあるのでこれで国民年金を継続して掛けておいてくれ」という。これを聞いてあー2~3年のつもりなんだなと感じたのだが・・・。これは私の甘い考えでであったことが後でわかる事になる。

確かに彼女は子供の頃から浮き足立った所が見受けられなかったから月給もボーナスもきちんと計画をしながら蓄えて来たに違いない。大学時代もアルバイトでの収入を自分のすべてのものに当てていたから親の私たちは随分楽をさせてもらっていたように思う。
まあ、こんな具合だから、多分、自分の好きな勉強にめどがついたら又日本に帰ってきて再就職でもするのだろう位に思い、人生一度きりだからと彼女の行動に別にもろてをあげての賛成も無く、かといって大きな反対も無く送り出したのである。

アメリカの大学は日本とは違い入学は容易でも卒業が大変であるという認識があったので、やはりどのように生活しているのかは、内心、心配でもあった。しかし聞けば聞くほど何時、このような情報を自分で探したのかと思うほどの好条件で、貧しいながらも順調に勉学生活を送っていたらしい。

週に何時間とか大学の教授のアシスタントとして大学生に日本語を教えるという条件付で大学側が住む所を提供してくれ、近郊の高校や、中学からの依頼により定期的に日本語を教えに行ったりした報酬で其の他の経済ををまかない、更に恵まれた事には周りの親切な人々のたくさんの恩恵を受けながら2年間で大学院のmaster's courseを卒業した。このように親切にしてくださった方たちとは今も尚、親戚のような付き合いが続いているという。

正に娘の生き方は良い意味の”自分中心の生き方”といえよう。不毛な出世競争に人生を費やし、過労死寸前まで働くことに異議をもち、自分なりの生きがいや、やりたい事をを大切にし、あるいはそれらを副業として活用し、経済的には貧しかったかもしれないが精神的に豊かに生きていたに違いない。

アメリカで学んで来たものを日本で活用するものと思いきや、娘はそのままアメリカにおける教育関係機関に大学生相手のeducation  counselorとして 就職し、その後まもなくグリーンカードを取得し、その上更にアメリカ人(日系3世)を生涯の伴侶として決め、結婚をして子供を生み、彼女の夫と共に協力し合いながら仕事、子育て、家庭の切り盛りなど本当に忙しい日々を送っているのであるが、とても幸せそうなので親としては一応安堵している。

生活様式も、価値観も異なる異郷の地に骨を埋める覚悟らしいが、年に一度は必ず一家こぞって日本に来てくれ、母の日、父の日を忘れずにいてくれる娘たち家族に願う事は、兎に角健康に留意して一日一日を大切に過ごしていって欲しいという事である。

私もまた、現在にとっぷりつかり、現在の生活に満足しながら”自分中心の生き方”をしているわけでもあるが、もし今、私が若い世代だとしたら、きっと同じような事をしていただろうなと考えたら、苦笑を禁じえない。”Boys, be ambitious."いまだにこの言葉が好きだから・・・・・。
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by aakinishi | 2005-06-13 10:50