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頭の回転の速い人の話、頭の良い人との会話


私は 毎週、某チャンネルの「行列のできる法律相談」を欠かさず視てしまう。
頭の回転が速い人の話は、 とにかく普通の人よりも何倍も思考が先立ち、右に左に、縦に横にと ,どんどん広がって行く。
とにかく頭の回転が速い人は喋りが上手い!。

頭の回転の速い人といえば、この番組の司会者 島田紳助などは人格、品性などは別として正にその筆頭に上げることの出来る人物だと私は思う。どうしてあのような速いテンポでいろいろ要を得た話がついて出てくるのだろかと思えるほど、兎に角、面白い。

頭の良いという事と頭の回転が速いということは同じなのだろうか
言葉遊びや機転のきく反応のできる人は相手を楽しませ、惹き付ける。
これは勉強ではどうしても身に付かない天賦の能力ではないだろうか。又は幼い頃からの人間関係に 起因してはいないだろうか。面白い人たちに囲まれて育つうちにその能力が伸びたのかもしれない。
こういう人は人間関係に強い。

学生時代に勉強ができた人は例外なく「事務処理能力」が高いという。
事務処理能力が高い人は仕事もテキパキこなせるので、仕事ができるといわれる。
しかし、人間関係に疎い人も結構いるので世渡りが下手で損をする人も多いという。
そのような人は総じて勤勉家。努力して向上していくのを当然のこととしているからではなかろうか。

そして、頭のいい人との会話は、端的に、最適な言葉 例え1つででも先を読み、一回で理解し、自分の中で要約してくれる。 ほとんど説明しなくても言いたい事が伝わるから話をしていて楽しい。

その反面、たまに話が噛み合わなくて気持ち悪い違和感を感じることがある。
主述が目茶苦茶だったり、話を聞いてるようで全く別のことを答えたり・・・それが余り酷いと気分が悪くなる。
要するになんとかかんとか・・・ぜんぜん要点をまとめられてない。これらのコミュニケーションは、多かれ少なかれお互いに疲れる。

何でここまで説明しなきゃわかんないわけ?とイライラさせられる事もある。

しかし、これは知識や 知性だけでなく、生活環境、習慣、文化、外見、などなど・・・の違いからくるものかも知れない。

ずーと昔の話。ある人から言われた話。
付き合って楽しいとか刺激があるとかが必要なら、 自分と同等レベルの人が良い。
導いてくれる知識や判断力・決断力が必要なら 自分より優れた人がいい。
下僕のような従順さを求めるのならば、物を知らない人の方がいい。と・・・・・・・・・・

一概には言えないと思いながらの今までの人生で、いろいろな人との付き合いが有り、その都度いろいろな事を感じたり、言ったりしたが、其のどれもこれもが刺激的であったと感じている昨今。遭遇した全ての人々に”感謝”である。

“笑いは健康の元” 今後も大いに笑って暮らしたい。来週も紳助のあのやんちゃで、機転の利く会話にあえることを楽しみにしている。
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by aakinishi | 2007-02-28 00:39

過ぎたるは及ばざるが如し


私の住む自治会では偶数月の第3週の土曜日に自治会内の清掃日と決まっている。
何の問題も抱えず、穏便な生活が続いているこの町会では、近隣の人達が一同に会する機会は極めて少ない。

今日、2月17日は清掃の日。 街区に別れ清掃する場所がきめられている。
自分たちが居住している高台地を挟み上の道路と下の道路が私たちの清掃すべき区域である。上の道路区域には九戸の住人がいるが掃除区域が余り広くない事も含めいつも隣の奥様と二人でそこを済ませた後、下の区域の十数人で清掃する場所に合流することが、 誰が決めたというのではなく何時の間にか常となっている。

今日もゴミ袋半分くらいになった袋を携え例によって下に合流したのだが、いつもと様子が違う。どうしたのかと思いながら近づくと、Mr、Mさんが空のゴミ袋を腰のベルトに挟んだまま何かを言いながら戻っていらっしゃる。 「どうしたのですか?」と訪ねると「Kさんが一人で全部やってくれたそうです」との答えである。

ここ2~3日風の強い日が続いたのでごみがどこかに飛び散ってしまった上、いつもここを仕切りながら率先して清掃するKさんが又いつものように張り切ってやってくださったことをいっているのだろうと思ったので、「あら、ではやりがいがなかったですね」と冗談を飛ばしながら皆の集まるところに交わった。しかし、そこにはKさんの姿が無い。皆が口々に言う言葉で事情がやっと飲み込めた。

Kさんは今日、私用が有ってお留守になり清掃に不参加との事。そこでいつもなら十数人で
一時間程をかけて清掃している場所を早い時間のうちに一人で全部を済ませてしまったとの事だった。しかしそこには労をねぎらう言葉は無かった。皆の胸中は推し量れるものであった。

もう何年も前の事だが、Kさんが街区役員をしていた時の事、矢張り 私用で留守になるという清掃日、9時からと決まっている清掃時間よりずっと早くからご夫婦でその区域を清掃して下さっていた事があった。その時は役員だった事から責任を感じての好意的な行為だろうと皆、感謝したものだった。しかしそのような行為が重なると周りの空気は重くなる。 ご自分はそう思わなくても、独りよがりだと感じる人が増える。

独りよがりとは、独り善がり。つまり独善である。広辞苑では、独りよがり・・・自分ひとりでよいと思って他人の説を顧みない人とあった。
独りよがりは基本的自己満足を追求するから想像力の欠如というか、相手の立場に立って物事を考えることができない、またはしない人ということが言えそうだ。

この一件は、コミュニケーションのとり方が余り上手くなかった一例に過ぎない。
コミュニケーションが上手な人は、どこかで相手の理解とか共感を得るために上手に妥協をしている。妥協というとなんとなくあまり良いイメージには聞こえないが、人とのコミュニケーションで妥協をして相手に歩み寄っていくことは人間的寛容力なのではないだろうか。

誰にでも都合の悪い時は生じる。どうしても都合がつかず、不参加の時も、お互い許せる間柄をつくることも近隣とのコミュニケーションをスムースに行う秘訣とも言えるのではなかろうか。

行き過ぎたコミュニケーション能力の発揮は自由の制限というストレス社会を生み出してしまうのではないだろうか。

案の定、そこにあつまった皆、このような行き過ぎな律儀さは不必要である。一人の人がこのような行為に及ぶと自分もそうしなければいけないのかと考えてしまう。都合がつかないときは自分の家の前だけでも清掃するくらいの良識でよいのでは・・・という異口同音の申し合わせをして解散となった。

Kさんは良い事をしていながら反論を買ってしまったわけである。

物事には程度というものがあり、その程度を過ぎると、かえって足らない事と同じでありよくないことになる。

良い事でもほどほどが大切である。 正に 過ぎたるは猶及ばざるが如し ということであろう。

些細な事ではあったが、お陰さまで人の振り見て我が振りなおせと自分を戒めることができる出来事でもあった。

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by aakinishi | 2007-02-17 16:49

三つのY    今より幸せに ~これからも青春! 女と男~

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2月4日、18年度の市民大学、学習コーディネーター学科生10人の企画、運営による船橋市生涯学習フェアで千葉県初の女性弁護士となった渥美雅子氏による講演会が開催された。

〟今より幸せに ~これからも青春! 女と男~という演題で、講談も交え、分かりやすく楽しく語っていただけるとのことで、弁護士だから、法律問題など難しい話も飛び出すのではなかろうか、どんな話を聞くことが出来るだろうかと、とても興味深いものであった。

1963年中央大学法学部を卒業し、1966年に弁護士開業。多彩な弁護活動の中で 家族、相続、D.Vの事などを得意とし、さまざまな人生相談の回答者として柔軟な考え方と歯切れの良い回答で人気を博しておられること、講演や執筆も多く、現在千葉市内で法律事務所を開いており、女性と仕事の未来館館長、NPO法人高齢社会を良くする女性の会幹事、千葉県人権問題懇話会委員、千葉県公害審査会委員などを兼任し、2,005年には男女共同参画社会作り功労者として内閣総理大臣表彰を受けた、1997年11月には講談師の宝井琴梅、宝井琴嶺さんの協力を得て渥美講談塾を開設し、塾生も30人ほど集まりボランティアで老人施設などを慰問している事などのプロフィールの紹介があった後、講演に入った。

話の内容は、渥美氏の日常生活における楽しい事、ご自分の子宮ガンを患ったときのこと
ご主人が脳梗塞で倒れたときの事など等、身近な出来事を時にはユーモアを交え、時には真剣な面持ちで語り、あっという間に予定の時間が経過していった。

その話の中で、この講演会のタイトル、サブタイトルに見合った結論的な、しかも印象的な言葉が残った。

人間女も男もこれから生きてゆく為に必要な事・・・それは三つのYであると。
三つのYとは、役割を持つこと、友人を持つこと、余技を持つ事 という事であった。
家庭においても社会の中においても、この三つのY を持つ事が出来れば、きっと今より幸せに過ごせるというものであった。

確かに、定年退職をした世の男性もその男性とともに暮らす女性も、地域社会との接触を持ち、内にも外にも自分の役割をしっかり確保し、友人、知人など多くの仲間つくりをして、沢山の趣味(余技)を持ち時間をもてあます事の無い日々があれば、きっと今より幸せを感じる事があり、実年令こそ戻って若返る事は決して無いが、これからも心の中に様々な青春を感じることも、多々生じる事もあるに違いない。・・・・この締めくくりとも言うべき言葉に同感したのは私だけではなかったと思う。
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by aakinishi | 2007-02-15 17:17