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私自身の一貫性

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他人の親切心も度が過ぎると受ける側にとっては蛇足的でもあり、重くも感じられ、一貫性に欠けてしまうような結果にもなりかねない。
臨機応変と言う言葉もあるが、それとは又少し異なる物事の一貫性ということについて、改めて認識を新たにして見ようと考えた。私自身の中での一貫性とは・・・・・・・・

人間は一度決定を下したり、ある行動を取ったとき、その立場を持続したい(一貫していたい)と強く思う傾向があり、自分の言ったこと、自分で反故することに抵抗があり行動に責任を持とうとする。これを「一貫性の原理」「一貫性の法則」「行動の一貫性」などと呼ぶ と 若い頃に学び、現在まで認識していることでもあり、常に私自身の中でも知らず知らずの内に行動の習慣になっていることでもある。

では、何故私が「一貫性」を重視するかといえば、この「一貫性の法則」を使うことで、複雑な社会の仕組みや人間関係の中で迷うことなく、「いつも通りの答えを導き出せる」からである。一貫性が破られるとき、又は物事に蛇足がつけられた時、この時点で何らかの悩みが生じることが多々ある。

時々、言った言わないというくだらない話になるときがあると聞くが、それも、普段からどちらかの言動に一貫性がないからではないだろうか。尚、人が信頼を無くすときはこの一貫性がないときでもあると考える。  とは言え、一貫性がないと人と思われている人も、その人にとってはそれが一貫性なのかもしれない。

だが矢張り普通に言われている一貫性がないと、人に信頼されて、行動してもらえることは難しいように思う。

社会で尊敬される人物モデルが「意見と行動に一貫性がある人物」であること、一貫した態度で物事に対処できるということが、その場その場で態度を変えることより社会的に見て、信用度の点から見ても、高く評価されていることからしても、矢張り必要な態度なのだろう。
ある人たちからみればカリスマ的で怖い存在にもなるかもしれない。

しかし、ときに人は「一貫性」を保ちたいために、そうすることが実は賢明でない場合でも、「一貫性」を保とうとしてしまうこともある。それは、様々な状況での判断を「一貫性」の法則で単純に判断できれば、その時に伴う多大な精神力が大幅に削減されるとわかっているから、「一貫性」に頼ってしまうのだとも思う。

ごちゃごちゃするのが苦手な私はそんな時はさっさと割り切って相手に其の一貫性をゆだねてしまうに限ると思っている。
大筋を通せば細事も自然に追従してくるものと思っているので性格として余り物事を細かく考えるのが苦手だけなのかもしれない。 兎に角、回りくどいのは苦手なのである。

人に有る程度理解を求めるのであれば、常日頃から自分がいう言葉や、かもし出す雰囲気には気をつけておく必要があるのではないだろうか。
それは、言葉で表現していなくても、見た目からも判断されてしまうものであるとも思う。

自分が人にどうみられているか、日常の行動の一貫性が大きなポイントになっているのかもしれない。

反面、一貫性をあまり気にしない人からは、嫌がられる対象となるだろう事も承知しておかねばならない。とはいえ、矢張り今後も私自身は根本的には一貫性を保つ態度を変える気持ちは無い。

実は人間 何事も無ければ120歳まで寿命があるのだそうだ。そうならばやっと半分を少し折り返した年令の私ではあるが、きっと最後のときまで感受性を失うことなく、もっと、もっとたくさんの人生勉強が続くのであろう・・・・。そう考えると矢張り人生は楽しいものだ![笑い]
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by aakinishi | 2007-04-26 23:47