<   2007年 09月 ( 2 )   > この月の画像一覧

東欧(ブルガリア、ルーマニア)旅の思い出 その4

 ルーマニアへ
ブルガリアのガイドMR.ヤボーさん(これが全く好青年だった!)とドライバーのMr.シメオンさんからルーマニアのガイドMs.ミハラさん、ドライバーのMr,ニコルさんにバトンタッチ。いよいルーマニアへ入国。

ブーナ ジア(今日はという挨拶)

d0053828_1728749.jpg先ず、ドイツ系住民の職人や商人がこの町を発展させたというシギショアラを散策。町のシンボルは60メートルあるという時計塔。広場にあるドラキュラのモデルとなったヴラド・ツエペッシュの生家“Casade Vlad Drcul”というレストランで昼食。いざ昼食という時、奇しくも停電騒ぎとなり、これぞドラキュラのしわざ!!と騒然となる場面があった。

次に訪れたビエルダン。町のシンボルの要塞教会。16世紀前半に建てられたという教会で今は世界遺産に登録されている。特に印象深かったのは、聖具室のドアーで中央の鍵のハンドルを回すと15個あるというかんぬきが一斉に動く仕組みとなっているもので1900年のパリ博覧会に出品され金賞を受賞された由。
この日の夜は要塞跡の“CETATE”というレストランでクラシック音楽を楽しみながらの夕食だった。
此処で夫が肩越しから料理をかぶせられた事件有り。平謝りの女性オーナー。新しいワイシャツを弁償するからというのをお断りしたらホテルに着くや否や早速クリーニングの手配があった。夫は特別にこのレストランのシンボルである要塞を焼き付けたメダル(?)と一輪挿しの花瓶とオーナーの熱いキスを何度も受けた。
旅というものが楽しめるのは、スローライフを味わえたりこのような珍事があるからだろう!

ルーマニア第2の都市、プラショフ>は12世紀に町に移住してきたドイツ系商人によって基礎が築かれたというほどにドイツ風の家並みがそこかしこに点在していた。黒の教会と呼ばれる教会は14世紀に建立されカトリックからプロテスタントに改宗しドイツゴシック様式の建物で、火事で外壁が黒くこげた為、黒の教会と呼ばれるようになったそうだ。
d0053828_17304644.jpg
“ドラキュラの城”と呼ばれているブラン城。 此処は14世紀にトランシルバニアとワラキアの境界に税関として建てられたという。1920年当時の国王フェルディナンド一世の王妃マリアに贈られたサマーハウスで、内部には当時の調度品が残されて展示されていた。実を言うとほんの少し恐怖めいた体験を期待していたが話の中の”ドラキュラ“とは無縁のたたずまいであった。

ブカレスト入り。カルパチア山脈の南に開けた都市。かつては“バルカンのパリ”と呼ばれた美しい町だったとのこと。第2次大戦後に町並みはすっかり作り替えらて共産党時代の巨大な建物や薄汚れたアパートが立ち並んでいたのが歴史を物語っているかのようだった。
チャウシェスクによる独裁政治を象徴する巨大な宮殿・・・それが“国民の館”と呼ばれるもの。

d0053828_17331074.jpg
床面積は33万平方メートルでアメリカのペンタゴンに続く第2位という。部屋の数は3100以上もあるという。1989年チャウシェスクが処刑された時はほぼ完成間近だったと言う。
こんなに大きな建物を見たことのない私はその存在自体に本当に驚いた。チャウシェスク大統領は旧共産党本部の屋上からヘリコプターで逃亡を図ったが捕らえられて処刑されたという。自分だけの威信は長く続くものではない。今現在、この国民の館は政党の本部があり、様々の会議場として使われている。私たちが訪れた日も何か大きな会議があったようで1つの大会議場に各国の名前の書かれているスタンドがテーブルに立てられていた。Japanを探したがすぐには見当たらず、そこに居合わせた職員に日本はあるのかと尋ねたら、この日は日本は参加国ではないという返事が返って来た。
町中、警察の先導車が大きな音を出しながら矢次早に走っていた。
建物内部も全て大理石、豪華なシャンデリア、絨毯が施され、見るものすべてに圧倒されたというのが本音でもある。こんな贅沢もあれば貧困もあるのに・・・と何か複雑な思いで此処を後にした。
[PR]
by aakinishi | 2007-09-30 17:36 | Trackback | Comments(0)

 東欧(ブルガリア、ルーマニア)旅の思い出 その3

印象深いリラの僧院

3日目、フィアから南へ約120kmの地点にあるリラの僧院へ。

途中、kocerinovo(?)という所でこの地域に飛来して、高い屋根の上に巣を作り住むコウノトリ写真撮影タイムの為小休止。頭の上を飛ぶコウノトリの大きさにびっくり。
近くで見ることができる珍しさと、なぜかわからぬそこはかとない愛着を感じて去りがたかったが 再び車中の人となり、リラに向かう。

深い山間にたたずむリラの僧院はブルガリア正教の総本山であり、ユネスコの世界文化遺産にもなっている。
この僧院は10世紀頃、修道士イヴァン・リルスキが修行の為このリラ山脈に入り、小さな僧院を建てたところから始まる。現在は6人の修道士が居住しているとのこと。
りラの僧院の敷地面積は約32,000㎡、その中心には聖母教会が有り、四方を4階建ての僧坊・厨房、等で囲まれていて、外壁の内側、中央の教会など あらゆるところに見られる独特な装飾模様は、美しく統一された鮮やかな色彩で印象深かった。

d0053828_23153390.jpg

聖母教会の壁や天井を飾る極彩色のフレスコ画は、聖書の物語や当時の人々の生活が見事に描かれ、今まで宗教画に対する興味はほどほどだったのだが、ここで見たものは今まで見たどのフレスコ画より見事なものであり、物語が妙に身近に感じられた自分が不思議にも思えたのだった。
また教会の内部にあるイコタノス(壁)はまばゆいばかりの黄金で飾られていて、宗教心の強さを痛切に感じたりもした。

d0053828_2317148.jpg

そしてこの一角にフレリョの塔と呼ばれる古い塔がある。1833年の大火で大半の建物は焼けて無くなったそうだが、この塔だけは難を逃れ 唯一14世紀の姿を残していた。現在は中に入ることは出来ないが、1階はおみやげ物店になっていた。

それにしてもこの深い山間に、これほど大きな僧院を作ったという事は、信仰というものがこの地の人々の大きなエネルギーであったに違いないと感じたのだった。
[PR]
by aakinishi | 2007-09-04 23:28 | Trackback | Comments(0)