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スペイン、ポルトガルの旅 その6(7日目)


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昨晩フラメンコディナーショウを見てホテルに帰ったのは午後9時半をすぎていた。
しかし未だ日本の7時ぐらいの明るさでとても夜とは思えない。ジャカランダの薄紫の花もはっきりと美しく目に映っていた。
7日目の今朝はテルを出発する為荷物の整理に忙しかった。そして少しずつではあるが確実にスーツケースは重くなっているのを実感する。
重くなるほどの買い物はしてないのに・・・なぜ?と言う感じ。

朝一番、セビリア市内を観光。セビリアと言えばビゼーの「カルメン」、ロッシーニの「セビリアの理髪師」の舞台となっている町であり、叉ベラスケス、ムリーリョ、パルデスというスペイン美術史に名を残すバロックの巨匠を生んだ町でもある。

まず世界遺産である「アルカサル」を訪れる。回教王時代からの城で、キリスト教王が再征服した後に回教徒の職人に完成させたものだとのこと。アスレージョと呼ばれるタイル、モザイクが施され柱、天井にもアラブの技術が注がれていることが一目でわかる素晴らしいものであった。
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この裏手にあるのがサンタ・クルス街で旧ユダヤ人街。細い路地を歩いて通ると家々ごとに窓辺に花、戸口にタイルの装飾がほどこされ心が和んだ。

次ぎのカテドラルは回教徒のモスクの後に建てられたと言う15世紀のゴシック建築。
規模はスペイン一だそうだ。内部にはたくさんの美しい礼拝堂が並んでいた。
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スペイン広場と呼ばれる所は半円形の本当に広い広場であり、大きく横に広がった建物の両側には塔が立っていて、建物の壁には絵タイルでスペインの各地方の歴史が描かれていてとても興味深かった。

リスボンに向かう途中にエボラと言う街に立ち寄り、サン・フランシスコ教会と大聖堂を見学する。5000体の人骨で作られた壁や柱の部屋があったが決して気分のよいものではなかった。私は惨いものや気持ちの悪くなるようなものはなるべく避けて通りたい小心者でもあるから・・・・。

街の中を歩くとの青色ほうが速達叉はメール便で赤色のほうは普通便用だと言う赤と青の可愛いポストが立っている。 余りにも可愛いので写真に収めた。
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リスボンでの夜は少しおめかしをしてファドディナーショーに出かけた。
ファドとはポルトガルの民謡である。なんとなく哀愁を帯びた調べは聴くもの全ての心を奪う。 
夜の9時ぐらいから朝まで続けられると言う。食事を撮りながらファドを聴くのであるが彼らには相当な自負心があり少しでも客が騒がしかったりすると静まるまで始めない.
私達の行った店に他の日本人グループ(どーも話し振りからして関西人らしい)が来ていたが彼らの添乗員は予め注意事項を伝達していなかったのか私語や笑い声を立てたりしている間、ファドショーは始まらなかった。 同じ日本人として恥ずかしい思いでもあった。 全ての関西人がと言うわけでもないから全くの偏見なのであるが昔から私は関西人の話し方や、態度が怖かったし好きではなかった。でも私の夫はれっきとした関西人である。 私の偏見の関西人ではなく穏やかなやさしい人なのである。だから一緒にいるのかもしれない。((笑))

追記だが添乗員がワインについて説明をしてくださった。スペインには美味しいワインが 数多くあると言う。3日目ぐらいに飲んだホワイトワインは透き通ってはおらずウーロン茶を薄くしたような色をしていて味は日本でよく飲むすっきり感に慣れているせいかなんとなくケッタイな味わいであった。その後はホワイトワインは飲まないことにして、もっぱら口に合う赤をたしなんでいる毎昼、毎晩だったが、まだ飲み残したもののうち、とても高価で手の出ないものを除き、シェリー、ポート、青のワインというのが残っている。必ずこの地で飲んでゆこう!など変なことを心に決めたワインをこよなく愛する私である。 
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by aakinishi | 2008-06-29 17:06

スペイン、ポルトガルの旅 その5(6日目)

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今朝早く世界遺産のヘネラリーフェ庭園を訪れた。
此処は王様の夏の別荘だったとのこと。
さすが上流階級の庭!庭園の緑の中の新鮮な空気を吸いながら、美しい庭園の散策はまったくの 癒しであった。

今日訪れる予定の白い家並みで有名なミハスはデモの為道にバスが入れず、変わりに矢張り白い家郡のあるモンテフリオを訪れる事になった。この地帯は暑さが非常に厳しい為、其れを少しでも避ける為に白い家にするのだそうだ。

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丘の上に大きな教会が立っているこの小さな町は丁度フェステで着飾った老若男女でにぎわっていた。しかし、街の中の商店という商店は全てクローズされていた。
みなフェステを楽しむのだと言う。そのうちただ一軒営業をしていたバールに入り、街のおじさんたちに混じってコーヒーブレイクとなった。私が想像していた「白い家郡の街」とはすこしかけ離れていてキャンバスに描く事を前提に考えていた絵のモチーフにはならず残念だった。

セビリアに着いた夜はフラメンコディナーショーに出かけることになっている。
食事を取りながらの観賞である。しかしこれは劇場でのショーなのでよくテレビなどで知るフラメンコのあの情熱の伝わり方は少なかった。傍で見ながら自分も踊りに加わりたくなるような情熱的なものを望んでいたから本当なら本場のフラメンコに接したかった・・・とこれも残念であった。
今日は残念な事が2つ有ったなとベッドに入ってからしおりに記録した。
早いもので残す観光は2日間。今夜はセビリアに宿泊。明日はポルトガルのリスボンに向かう。
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by aakinishi | 2008-06-29 01:11

スペイン、ポルトガルの旅 その4(5日目)


マドリードより約131kmバスに揺られて「ドン・キホーテ」の舞台となったラ・マンチャ地方へ向かう。昔読んだ本の中の「ドン・キホーテ」に会いに行くような懐かしい気持が沸々とした。


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この一帯と次に向かうコルドバ周辺は行けども行けども折り目正しく同間隔に植えられた(?)オリーブ畑となだらかな丘陵一面に黄色の鮮やかな色彩のひまわり畑が続きその雄大さと美しい景色に感嘆する。
叉、良質のサフランとオリーブオイルの産地でもあるという。

ドン・キホーテが突進したと言う風車・・・コンスエグラの風車郡のある丘に立ち寄る。

そこで「ペトロさん」と言う陽気なおじさんが私たちを歓迎してくれた。「カワイイネー」「キレイネー」という日本語を連発しながら両手を広げ、踊っているかのような身振り手振りで風車の中を案内してくれる。このくらいの単語は何カ国語もしゃべると言う。

真っ青な空の中の白い風車が実に印象的であった。

次に向かったのはコルドバ。
徒歩で世界遺産となっている歴史地区を観光する。コルドバの象徴とも言うモスク「メスキータ」は度重なる改築で、ほの暗い中で様々な建築様式が入り混じった独特な雰囲気であった。

「花の小径」と呼ばれる狭い古径の両側の家々の窓辺にはさすがヨーロッパの窓辺風景だなと再認識できるような色とりどりの花で飾られていて美しさを満喫した。

花々の美しさは心の癒しである。

この日の昼食に出たガスパッチョ(トマトベースの野菜の冷製スープ)の味は格別に
美味で印象的であった。

丁度この町のイヴェントがありそれぞれの民族衣装を身にまとった老若男女が明るく往来していた。 余りにも可愛い少女がいたので「写真をとってもよいか」と訪ねたら、ポーズをとってくれた。


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コルドバより宿泊先のグラナダへ。
明日立ち寄る予定の世界遺産のアルハンブラ宮殿へ急ぐ。
アルハンブラとは「ざくろ」と言う意味。確かにこの宮殿の周囲にはざくろの木が多く植えれていたことを再認識した。

観光客が帰った後の時間をねらい次ぎの日のへネラリーフェには朝立ち寄る事となった。その選択は誤りではなかった。添乗員の機転である。
日本語を上手に操る中年の男性のガイドの説明は面白かった。どこで覚えたのか知らないがいわゆる”親父ギャグ”という代物を説明の端々に入れて私たちを笑わせた。

アルハンブラ宮殿は絵描きの最も好むモチーフの1つである。
あー氏が描いていた場所はここ!と思い当たる場所がいくつかあり始めて訪れた所ではあるが何かとても懐かしかった。

そしてこの夜、同行仲間の一人、そして毎晩一緒のテーブルで行く先々のワインのボトルをシェアーする仲となったMr.久保田の誕生日であった。  皆で乾杯!! 
私たちテーブルはスペインに来たら絶対味わおうとしていた有名な「イベリコ(豚の生ハムで小さな一片が200円近くする)」をひと皿オーダーしてワインのおつまみとして乾杯!!
贅沢も旅の楽しさである。 しかし彼が何歳の誕生日なのかは不明・・・・。
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by aakinishi | 2008-06-20 12:35

スペイン、ポルトガルの旅 その3(4日目)

d0053828_23531187.jpgマドリード

マドリード市内観光、みかんの並木町、ジャカランダの並木道。ヨーロッパはどこに訪れても美しい。マドリードでの強く残っている印象と言えば先ずプラド美術館。国立ソフィア王妃芸術センターといえる。
この日のガイドは50歳代後半に見える日本人男性の近藤さん。このガイドの説明が叉 素晴らしく詳細で彼が芸術家、叉は評論家でもあるような錯覚さえ覚えたほど説明上手な人。思わず説明にのめりこんで聴きメモをとる。
メモ帳が真っ黒になるほどたくさんの知識を与えてくださった。

近藤さんの説明によると・・・・・

プラド美術館 (Museo del Prado) は、スペインのマドリードにある、世界でも有数の規模の美術館であり、15世紀以来の歴代のスペイン王家のコレクションを展示する美術館である。
1819年に「王立美術館」として開館。1868年の革命後「プラド美術館」と改称され、現在は文化省所管の国立美術館。ベラスケス、ゴヤなどのスペイン絵画のほか外国絵画も充実している。
プラド美術館で恐らく一番有名な絵画「裸のマハ」と「着衣のマハ」は同じ展示室に並べて展示されていて「裸のマハ」の首の座りが物議をかもした・・・・・首がないとも言える不自然さなのである。

光と色彩の魔術師ベラスケスの絵は2階展示室、中央大広間の部屋にベラスケスただ一人のための空間となっていた。常に多くの鑑賞者がいて、とりわけ正面奥に掲げられた一枚の絵―「ラス・メニーナス」は名画中の名画という。画中の鏡に小さく描き出された国王夫妻が立つ位置が、自分が今いるところになるのだと説明があり、なるほどと納得したり、不思議な感覚を覚えたものだ。

ソフィア王妃芸術センターは20世紀の近現代美術を中心に展示されている。
時間の都合で「ゲルニカ」に直行。この「ゲルニカ」は最も印象的な絵であった。

『ゲルニカ』(Guernika)は、パブロ・ピカソがスペイン内戦中に空爆を受けた町・ゲルニカを主題に描いた絵画であり、白と黒のみで描かれている縦3.5m、横7.8mの大作である。
スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペインのバスク国の小都市・ゲルニカが、フランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。史上初めての都市無差別空爆と言われている。滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府よりゲルニカを主題にと依頼され、パリ万国博覧会スペイン館の壁画として、急遽にこの作品に取り組んで描いたもの。最初この絵は意に反したものと評価されたらしい。

スペイン内戦はフラン。コ将軍の勝利により終結。この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け、1939年、米国に渡り、ニューヨーク近代美術館に預けられる。第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めるが、スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはないと、ピカソは拒否した。ピカソは1973年この世を去る。フランコ将軍も1975年に亡くなり、政体の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間に、この絵の返還交渉が再び始まった。1981年になってようやくスペインに返還され、現在、此処に展示されている。。死んだ子を抱き泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようになく馬の姿などが戦争の悲惨さを訴えている。他の画家が描く戦争の悲惨さとは全く異なる描き方で訴えている。

兎に角たくさんの名画が此処に収められているのだが、時間の都合でガイドが私たちにぜひ見せたいと言うもののみしか鑑賞できず、なんとも惜しまれた。後ろ髪を惹かれる思いで、次の世界遺産のあるトレドに向かった。

トレド城壁に囲まれた中世の街の佇まいがそのまま残っているトレド。d0053828_043842.jpg 
 
マドリードからバスで約1時間、約70km南下した位置にある歴史と文化の街。
雰囲気がある。

カテドラル(トレド大聖堂) 主席大司教座が置かれているスペイン・カトリックの最も権威あるこのカテドラルは、建物自体が宗教芸術の宝庫といわれ、世界的に見ても重要な建物とされている。
聖堂内は15~16世紀のステンドグラスが陽光に映え、中央礼拝堂の祭壇のレターブル(装飾衝立)はヨーロッパ各地の芸術家27人の共同制作で木彫りに金箔を貼って彩色され、キリストの生涯20場面が彫り込まれている。兎に角広い。
そして人々とキリストの関係の深さをつくづくと感じ入る日が続く。
サント・トメ教会にはグレコの傑作「オルガス伯の埋葬」が展示されている。上下2段構成の画面。美術評論家のような今度さんはこの絵は全て三角形構成で出来ていると説明してくださった。
確かに光の当たっている点を結んでゆくと3角形になり、これまた納得。
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ダマスキナート
ツアーには必ず含まれる伝統工芸の見学。ご多分に漏れずトレドの伝統工芸である “ダマスキナート”を作る過程を見学。
古代の昔、スペインがイスラム教徒に侵略された際シリアのダマスカスから持ち込まれた工芸品。鋼板素材の台を削り線彫をし、そこに金糸や銀糸を埋め込んでデザインを描き出していく技法のこと。ブローチもペンダントもブレスレットも全て美しく,そして高価。
そこの職人は細工中はすごく真剣そのものだったが私たちが店を出るときは投げキッスで見送ってくれた陽気なおじ様だった。

この日の昼食はタパス料理(スペイン風小皿料理)日本で頂く中華料理のように次から次へ出てくる料理を好きなだけ小皿にとっていただくもの。色とりどりで味も良くお陰で昼間の赤ワインが美味しかった。

夕食は和食レストラン「どんぞこ」で日本食、久しぶりのお味噌汁を口にした。この店のオーナーは日本人で、そのほか何人かの日本人スタッフがいて接待してくれた、既に30年も此処で店を構えていると言っていた。

昨夜と今夜は同じホテルに2連泊。荷物の整理に慌てないで済むので少し気が楽。しかし、明日は早起きをしてラマンチヤ地方へ向かう予定・・・・・ゆっくりお風呂に入って早めに寝付く。
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by aakinishi | 2008-06-18 00:21

スペイン、ポルトガル 10日間の旅 その2(3日目)

5月29日(3日目)昨日は昼間バルセロナ市内を楽しんだ後、車中の人となり、バスの窓からの景色を眺めながら夜9時頃バレンシヤに到着。9時といっても日本の6時位の明るさであった。

社中から眺める景色も印象深い。広大な土地は木々の緑、若葉色、実りつつある麦の黄金色、野草のアマポーラ(ポピーのスペイン語)が美しい真紅の花をつけマッシュになって咲いている、所々にブルーの名も知らない花の群れ・・・それらのコントラストが見事である。今が一番美しい季節。その美しい景色に感動の連続であった。。

今日3日目ははバレンシア市内観光。世界遺産でもあるかつての絹の交易所であった所のラ・ロンハ、カテドラルのミゲレテの塔を訪れた。此処からの眺めが叉素晴らしいものであった。バレンシアの街の全体が見渡せる。お天気にも恵まれ美しいものが一段と美しく見える。そして更にそこから足を伸ばしてクエンカへ。

その移動中バスの中では添乗員さんがいろいろな説明をして私たちに知識を与えてくださる。今回の添乗員さんは質がよい!明るく、声が大きく鮮明な語りで行動も大胆且つ繊細な所が程よくあいまっていてよく気が回る。このバスの中で面白い話を聞いた。「決してサカナ、もしくはおサカナと言わないで下さい。なぜかというとこちらのサカナと言う言葉は日本語の“助平”という意味です。オをつけると其れが“ド助平という意味になるのです。」と。
私は普段自然に“お魚(おさかな)”といっているからもし口に出してしまったらどうしようと内心焦りに似たものを感じた。

クエンカという所には世界遺産のカテドラル、宙吊りの家がある。この辺も色とりどりの草花が美しく、周りの景色をさらに彩っていた。
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宙吊りの家というのは岩場に木の杭を打ちつけ、其れを土台にして上に家を建てている。下から見ると本当に空中に向かって宙吊りになっているからとても恐怖感がある。そして現在も何軒かまだ人が住んでいるという。そのうちの一軒は美術館になっておりとても興味深かった。抽象的なものが多かったが楽しく見入り時間が少ししかないのが心残りだった。
 
クエンカから約164km.の距離を走りいよいよ首都マドリードへ入る。ホテル到着は矢張り夜9時。ホテルは設備も整っていて良好なり。
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by aakinishi | 2008-06-15 01:32

スペイン、ポルトガル 10日間の旅 その1(1~2日目)

2008年5月27日 10時55分離陸予定ではあったが実際は11時40分に成田空港をとびたった。
ロンドンのヒースロー空港で乗換え。約12時間機上の人となってバルセロナに到着した時ツアー客の3人のスーツケースが行方不明となっていることが判明。どこか違う場所に行ってしまったらしい。こういう場合戻ってくるのがは3~4日はかかるそうだ。着替えも無く本当に気の毒な感じだった。
夜遅く着いたので本格的な観光は2日目の28日からとなる。

5月28日(2日目)・・・バルセロナ天気は晴れ、気候も日本を出るときと同じくらい。
「バルセロナ(Barcelona)は、スペインの都市。スペイン北東部に位置するカタルーニャ州の州都で、バルセロナ県の県都。
スペイン最大の港湾都市で、人口は首都マドリードに次ぐ。地中海沿岸に位置し、フランスとの国境であるピレネー山脈から160km南に位置する。
この町には建築家アントニ・ガウディの残した建築物が多い。彼はバルセロナで暮らし、、グエル邸、グエル公園や、巨大で今なお未完成のサグラダ・ファミリア教会のような有名な作品をいくつか残した。それらの作品の多くはアントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録されている。」 と添乗員さんのバスの中での説明であった。

サグラダ・ファミリア教会
d0053828_14522.jpg先ず目の前にしたかの有名なこの建築に目を見張った。
とてつもなく大きく感じられ圧倒された気分だった。

このファミリア協会の中の西側の受難のファサードには、イエスの最後の晩餐から磔刑、昇天までの有名な場面が彫刻されている。東側とは全く異なり、現代彫刻でイエスの受難が表現されており、左下の最後の晩餐から右上のイエスの埋葬まで「S」の字を逆になぞるように彫刻が配置されている。最後の晩餐、ペテロとローマ兵たち、ユダの接吻と裏切り、鞭打ちの刑、イエスの捕縛→ポンティウス・ピラトゥスと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ、イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス、イエスの磔刑、イエスの埋葬と復活の象徴、そして鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエスが配置されている。私は無神者ではあるがガイドの説明を聞いているとキリストの存在がもっともらしく思えるのが不思議であった。

この教会は入場料と信者やその他の寄付のみが建造資金となっているので遅々として進ます完成するのはまだ200年後であるとのことだった。でも誰かが言っていた。「10年前も完成は200年後と言っていたそうよ」と・・・・。本当に何時完成するのだろうか?それにしても矢張りすごいものに出会ったという感じであった。

カサ・ミラ(Casa Milà)
d0053828_16527.jpgバルセロナのグラシア通りにあるガウディが設計した建築物の一つ曲線の家。。 1905年から1907年にかけてRoger Segimon de Milàの邸宅として建設された。1984年にユネスコ野世界遺産に登録されたという。  カサ・ミラ(Casa Milà)
 グエル公園(カタルーニャ語:Parc Güell, 英語:Park Guell)は、スペインのバルセロナにある公園で、バルセロナの街が一望できる。1984年にユネスコの世界遺産に登録された。アントニ・ガウディの作品群の1つである。

d0053828_16441954.jpg此処に座ると腰痛が治ると言うモザイクで出来た曲線のベンチ、これに触れると幸せになると言う階段の中央にあるモザイクで出来たとかげ、みなガウディーの作ったものと言う。これは全て
本当か嘘かわからないようなガイドの話。

この日の昼食はカタルーニャ名物フィデウア(スペイン風パスタ)とイカ墨のリゾット
夕食はシーフードパエリアであった。昼も夜もワインと美味しい食事に満足な一日!
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by aakinishi | 2008-06-14 01:07