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船橋港に係留されている砕氷艦[SHIRASE ] を見学

d0053828_947554.jpg2011年2月4日、ある組織の仲間5人と千葉県船橋港にて一般公開されている砕氷艦「SHIRASE」を見学をする機会を得た。

25回の南極往復を無事に達成して退役したこの「SHIRASE」の見学(乗船)はウェザーニューズ社に事前に申し込めば無料で見学できる。
JR京葉線新習志野駅駅前の千葉県国際総合水泳場付近に集合し、受付・身分証明書による本人確認をした上で専用の貸切バスで「SHIRASE」まで送迎してくれる。

現場に近づくにつれ、オレンジ色の全長134m全幅28.0mの艦体は遠くから見ても「あれだ!!」とわかるほどよく目立っていた。

見学した「SHIRASE」は2010年2月10日に気象や環境問題の情報発信基地として海上自衛隊からウェザーニューズ社に引き渡され船名をローマ字表記の「SHIRASE」に変更し当面の間の係留地である千葉県船橋市の船橋港に曳航され、係留され、2010年5月2日より一般公開されている。

この日の私の乗船番号は4782番だった。随分多くの人が見学したものだ。

3人の案内人のうち私たちに説明してくださった一人の方は実際に「しらせ」に乗船して、南極に行ったことがある人で、解りやすくお話してくださった。
そのお話の中では、最終的な母港は将来的には移動することもあるのかもしれないが しばらくは船橋港に接岸し停泊しているとの事だった。船橋市の一市民としては一つ新しい名所(?)が出来たように思えなんとなく喜ばしいことに思えた。もっとPRして本当に船橋の観光の一つにでもなればよいのに・・・と心中でつぶやいたのだった。

「SHIRASE」は3ノットで1.5m厚の氷を連続砕氷できる能力を持っている砕氷艦(自衛艦の一つ)であり、170名の海上自衛官と60名の観測隊員が乗船していると言う。
一般的には「南極観測船」と呼ばれているが観測よりもむしろ観測隊員及び物資の輸送が主な仕事であるとのこと。

毎年11月中旬に、東京港晴海埠頭を出港、オーストラリア・フリーマントル港で1週間休暇停泊の後、南半球が真夏に入る12月末には昭和基地に到達するという。

「しらせ」という名前は一般公募されたもので、「白瀬氷河」に由来されているが、一般的な認識としては1912年(明治45年)に日本人として初めて南極探検を行った白瀬矗陸軍中尉の名前にに因んでつけられたものと考えられているようである。

極寒を絶えるために備えた「白瀬の五訓」が印象的であった。
一、お湯を飲まない
二、お茶を飲まない
三、酒を飲まない
四、タバコをすわない
五、寒中でも火に当たらない


探検家の研ぎ澄まされた覚悟と自覚が伺え、一般人には当てはめることの出来ない凜としたものが痛切に感じられた。

艦体後部にヘリコプター甲板と格納庫があり、この甲板にはこの船橋近辺で捕獲したという南で育つ魚が展示されていた。この辺の海域は暖かいところに成育する色々な魚が捕獲されていると言う。温暖化の影響だろうか?

乗組員と観測隊員の居住部屋は、厨房をはさんでそれぞれ個室、2人部屋、4人部屋があった。
長旅ゆえ、船内には病院、手術室、理髪室などすべてが備えられていた。
理髪室は「タイガーバーバーショップ」と名付けられていた。所以は隊員同士で、または自分自身でバリカン理髪をするため虎刈りになるためつけられた名前のようだ。隊員の誰かがつけた名前だと思うが面白い!

現在、この[SHIRASE]には小型気象観測レーダー『WITHレーダー』を設置し、首都圏のゲリラ雷雨や突風などをリアルタイムに観測しているそうだ。  

甲板から眺めた船橋港と 遠くに見える海の景色は、この日の 風もなく暖かい陽だまりの中で本当にさわやかな気分で過ごせたひと時をもたらせてくれた。

さらに感じたこと・・・・今回は乗船したらそのまま帰ったが、 すぐ目の前に千葉サッポロビール園がある。SHIRASE見学とサッポロビール工場見学をあわせたら楽しい半日ルートとなるだろう。 

下船後 「SHIRASE]をバックに集合写真を撮っていただいた。 それがこの写真である。

そして再び貸し切りバスに乗り、出発地点まで送り届けていただいた。
お別れに厚くお礼をいい名残り惜しくバスを見送った。
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by aakinishi | 2011-02-17 11:32

友との別れ

10数年前から国際交流協会のボランティアであり、日本語教師第1期生として机を並べ学んだ友の、Y・Kさんが亡くなり「お別れ会」があった日より1年となる。

昨年の1月ご主人からY,Kさんの急逝という不報を聞いて愕然とした。 信じられない気持ちだった。

旧友として特に縁の深かった仲間2人、計3人で彼女の「お別れの会」に参加させていただくこととなった。
ご家族からボランティア仲間として[お別れの言葉]を一言・・・・・と言われ、私が3人を代表することになった。

私は彼女との思い出を「手紙」として託し、それを列席の皆様の前で読ませていただいた。
1年たった今、もう一度読み返し彼女を偲ぶことにする。 

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Kさん これは私からあなたにあてた最後のお手紙です。
Kさん! あなた 私たちの手の届かない遠いところへ旅立ってしまうにはあまりにも早すぎですよ! そんなに急がないで!といまさら言ってもどうするすべもないのですね・・・・。
寂しいです。つらいです。悲しいです。

私とあなたとは船橋市国際交流協会を介してのずっとずっと長いお付き合いでしたね。
実はね、毎年やりとりしていた年賀状が今年に限って届かなかったので「何故?」と思っていたのです。
すると年が明けて暫くしてから ご主人様からあなたが12月27日に急逝なさった旨のお葉書を頂き、あまりの驚きとショックで私は暫く絶句してしまったほどです。

あの 明朗闊達で、聡明で、おしゃれで、美しいあなたが 「えっ、どうしたの!」 という感じでした。何ヶ月もの間お病気と戦っていらしたのだそうですね。

Kさん、今日の「お別れの会」にはね、 陶芸教室と国際交流協会で親交があったM.Rさんと日本語教室のあなたの生徒さんだったN.Nさんもご一緒ですよ。

M.Rさんにあなたとの思い出話をうかがってみました。
貴女との出会いとその後の話。
お弟子さんをあまり多く取らないので順番待ちでしか入れないという陶芸教室にやっと入っていらしたあなたと知り会ったMさんが長い間 精進していたその教室をおやめになるとき、親切な貴女は彼女の作品を家まで車で運ぶことを快く引き受けて下さったそうですね。
私の思うには その親切心は実に貴女らしいですよね。
ところが その作品は乾燥のみでまだ焼いてない物だったため、車に積んで運ぶうちに振動で全部壊れてしまったんですってね。
焼いてない作品がもろくて割れやすいことを陶芸を始めたばかりの貴方はその扱い方を知らなかったからだったそうです。
でも、Mさんは言いました。パーフェクトに見えていた貴女にもそういう一面があったことにますます親近感が沸いたと・・・。そのとき作品は壊れてしまったけれど、あなたと彼女の友情は壊れないまま、いえ この時から尚一層深まって今まで続いたのだとしみじみ語ってくれました。

そして今、ここにいらっしゃる貴女の日本語の生徒さんだったフィリッピン出身のN.Nさんはおっしゃています。兎に角自分たち生徒をいつでも いつまでも、大切に思って下さる本当に好い先生だったとお元気だった貴女を偲んでいますよ。

良い人がいなくなることは本当にさびしいことですね。

私との関わりといえばよくお宅にお邪魔しておいしいお料理とコレクションしたという素敵なカップでおいしいコーヒーを頂いたり、楽しいおしゃべりに時間のたつのも忘れるくらい うつつをぬかすひと時に何回も仲間としてお誘いいただいたり、油絵をやる私の個展に花束を抱えて見にいらしてくださったり、私がよく緑の絵を描いた頃の風景画を部屋の壁にかけて飾ってくださったり・・・・生前の貴方を思い出すと、聡明ゆえに出るであろう歯に衣を着せない辛口トークとウイットに富んだ明るい話題の提供など何につけても本当に楽しかった思い出ばかりです。
よい友達関係が続いたことを今更ながら嬉しく、そして懐かしく思っています。

だからこそ、こんなに早く私たちの周りからあなたの姿がなくなったことを心より残念に寂しく思うのです。

最後にお願いがあります。
Kさん 貴女の姿、形がなくなっても ほら!最近ヒットした歌ご存知でしょう。そう「千の風になって」という歌。
あなたも千の風になっていつまでも いつまでもご家族を始め、私たちの周りを静かに吹き渡りながら優しく見守っていてくださいね。宜しくね。お願いよ!

では この辺で本当のお別れを言わなければなりませんね。  さようなら・・・・。
   
Y.Kさんへ    平成22年2月28日     ボランティア仲間の西口晶代
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by aakinishi | 2011-02-11 23:05