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「裏切られた」 という言葉


先日ある友人から 「仲間と思っていた人に裏切られた」という言葉を聞いた。
すごく深刻な言い方である。
自分がこうしてくれると信じていたのに違った、心変わりをして自分よりほかの人の仲間に入ったとか・…らしい。

「裏切るということは味方を捨てて敵方についたり、約束・信義・期待に背いたりすること」とあるが、では 裏切られたということは反対に見方に捨てられたり、約束を破られたり、期待に背かれたりするということであろう。

そんな言葉を聴きながら私はとっさに直感したのだった。
彼女の日頃の言動から察して それは彼女が相手に勝手に期待してるからそういう言葉が出るんじゃないのではないかと。

彼女は私に聞いた。 「裏切られたことない?」と・・・・・・・。
私は暫く考えた。 というのもすぐには 「あったよ」 と答えられなかったのである。
私は友人に恵まれているためか、自分があまりにも 単純で 鈍感で よほどのことがない限り自分以外のことをあまり問題視する性質(たち)ではないのか、その「裏切られた」という感覚が良く理解できない。

唯 思うに、他人への期待が有ったのに期待していたほどでもなかったと思うことはたびたびであったのは事実である。 でもこれが裏切りであるのかと考えれば必ずしもそうではない。 
「期待に応えられない」ことについては、たとえその前提として信頼関係があったとしても、非常に希薄なものであり、信じていたとか期待していたとかということは自分サイドのことであり、相手はそもそもそのようには考えていなかったのかもしれないということもある。

された側が仕方ないなあと思えば裏切られたという表現はできないはずなのではないだろうか。
裏切り者だと彼女がおもっている相手の人も多分お互いに期待通りにならないことを不満に思いぶつぶつ言っているのかもしれないし、反対に何とも感じていないのかもしれない。

「裏切られた」と、思う心の大前提には、「信頼」が有る。
勝手に信頼していたから、「裏切られた」と、勝手に思ってしまう、と考えられないか。
勝手に自分が信頼して、勝手に裏切られてるのではないだろうか。
ゆえにこの問題の処理の仕方は「自分が勝手に期待しすぎたからだ」と思うこと。相手は「裏切った」と思っていないかもしれないと思うこと。
そして何度も人から裏切られると思った時は自分自身が原因かも?と見てみる視点を持つことも大切であると感じられる。

幾度となく「裏切られた」という感情を受けることを繰り返されれば まずは慣れてくる。
しかし、人間には感情というものがあるら、慣れるとはいっても、その都度くやしさや、悲しさ、さびしさなどの感情は自然に生じるであろう。

でもその経験が多ければ多いほど逆に、自分にとって、相手にとっても本当にお互いを必要としあえる友人を見つけることが出来るようになるのではなかろうか。
先ずは免疫をつくるべきことも必要で 一つのことに執着していては先に進めない。

尚、彼女は良く「我慢をする」という言葉を使うが そのたびに良くウジウジ愚痴を言う。
私から言わせればそれは本当の我慢ではない、本当に我慢をするというならばそれに対しての不平不満は一切言わない。そこまでしなければ本当に我慢するとは言えない。
私だったら絶対といってよいほど愚痴がついてでるような事柄に対しての我慢はしない。
愚痴を言うくらいならその時点で自分の言いたいことをしかっり発言してゆけばよい。それを相手が受け入れるか否かは実行前には分からないが言いたいことも発言せずストレスだけをためるというのは余りにも時代錯誤でもあり己を卑下し過ぎてはいまいか。 後悔するような我慢はしない方が良い。 

自分の幸せ感は他人にとっても幸せ感につながってゆくものである。
自分の不幸を人のせいにせず正しい方向に自分を導いていってほしい。


彼女には伝わったかどうかは分からないがこのときはそう伝えたつもり・・・・・・・。
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by aakinishi | 2012-08-24 15:20

未熟者

人の言ったことをすごく気にする人がいる。
知らぬが仏という言葉がある。
誰かが本人のいないところで其の人のことをあまり良く思えないような噂話をしたとする。 こんなときは本人の耳に入れないようにするのが良いと私は思っている。だから私はその噂話も上の空で聞くことが多い。自分の頭の中に残っていないことは他の人に吹聴することもできないから。

当人の耳に入ればその人は気にして悩む。知らなければ知らないで平常心でいられることが多い。 
本当のことを知ると、悩んだり怒ったりすることが、知らないことによっておだやかな気持ちでいられることもある。
聞かされたことも聞かなかったふりをすることが必要な時がある。
批判されていた人に報告する必要もない。 
知ることが全てではない!。
このような考えは間違いだろうか? こう考える自分は正しいと思うのは私が未熟者だから?
 

常々気になっていることが有る。
多くの人が集まった時必ず何かを発言しなければいられない人がいる。
何でもかでも全てを知ろうとシャカリキに要らぬ質問をしたり、時には今話したばかりのことを繰り返し質問したりする人がいる。
こういう場面に出くわしたとき私は非常に不愉快になる。
もっと人の話を集中して聞いたら! 本当に知らないだろうと察しの付く人もいるが(そういう人は当然聞くことは許されるであろう。)しかし本当は知っていることを改めて質問する人にはそんな分かり切った質問はしないで! と感じるからである。

でも夫はそういう人を必ず弁護する。
「その人はきっとその時 体調が悪かったんだよ。」
「その人は 耳が悪いんだよ」と・・・・・・・私を諭す。

そうか!そう達観すれば良いのだな。しかし、そう思いつつも私は矢張り気になる。 そんな寛大な夫が恨めしくもあり、その優しさに感服もしている。

人は一人一人違うのだ。自分とは同じではないのだという開き直りの精神も必要なのかもしれないとつくづく思う今日この頃でもある。いつ このような煩悶と断ち切れるときがくるのか?

人生の折り返し点をとっくに過ぎた私は まだまだ未熟者である。
いつになったら熟すのやら・・・・・。

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by aakinishi | 2012-08-16 09:42

トルコ旅行 観光最後の日

ボスフォラス海峡クルーズとリュステムパシャモスク観光
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今日で今回の旅も最後の日となる。出発まで自由行動と言ったが「ボスフォラス海峡クルーズとリュステムパシャモスク観光」のOPが有ると聞きせっかくだからと参加申し込みをする。
約2時間程度のクルーズである。桟橋に着くと既に船が待機していた。それほど大きくも小さくもない船だが私たち一行の貸し切りであった。

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船首から船尾まで往来できるし、席も自由に座ルことができ快適であった。
ケナンさんの流暢な日本語でマイクを通しての説明が有り船内の飲み物サービスカウンターでコーヒーを頼み、それを片手に風に吹かれながら景色を楽しんだ。

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イスタンブールをヨーロッパとアジア大陸の二つにわけるボスフォラス海峡
船は、行きはヨーロッパ側寄りに航行し、帰りはアジア側寄りに航行するので2つの大陸を眺めながらクルージングできる。
ボスフォラス海峡の両側は古代遺跡、美しい町並み、ヤルと呼ばれる高価な別荘や要塞など魅力的なものが点在している.d0053828_8584045.jpgラッキーな時はイルカを見ることができるという。皆目を凝らして波間を見る。すると「いたー!」と興奮した声が聞こえる。指さす方を眺めると確かに2頭のイルカが見える。。d0053828_17233791.jpg


イルカはかしこくて人懐っこい動物だと聞いてはいたが確かにそのとおり・・・・私達の船と並行しながら泳いでいる。なんとなく幸せな気分だった.
カモメが群れをなして飛んでいる。 あの下にはきっとカモメの生きるための小魚がたくさんいるのだろう・・・・。

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トルコ国民は愛国精神が強いのかそこかしこにトルコの国旗が掲げられていたがこの海峡クルーズ中にも多くのトルコ国旗が見られた。日本人の私でさへこの旅行でトルコという国がとても好きになったのだから自分の国を自負するのは当然だとおもえた。

陸からの眺望とは一味違った風情を味わいながらクルージングは終った。

次はリュステムパシャモスクへ案内された。d0053828_1418658.jpg

イスラム教のトルコには大きくて有名なジャミイ(モスク)がたくさんあるが是非見せたいというガイドのケナンさんに誘導されて着いたのが小さなモスクリュステム・パシャ・モスク。
バスを降りるとケナンさんはどんどん商店街に入ってゆく。 えー??? こんなところに本当にモスクが有るの?と疑いながらあとについて行った。
商店街の中にあって、薄汚れた石段を上った2階に建てられている珍しいモスク。言われなければここがモスクの入口だなんて誰にもわからない。街に完全に溶け込んでいる小さなモスクである。
どうして旧市街の真ん中の商店街の2階にモスクを建てたのかという疑問にケナンさんは答えてくれた。
市場で働く人たちが仕事の途中でもすぐにモスクに来てお祈りできるという便利さと下の商店の賃貸料がモスクの維持管理費に充てられるという2つの利点からだという。
地元の商店の人たちがお祈りの時刻になるとやってきて神に祈る神聖な場所となっているそうだ。

d0053828_14192196.jpgリュステムパシャ・モスクの外観はすごく地味に感じたが、中はとっても美しくてびっくりした。一番の特徴は一面のイズニックタイル。ここのタイルはブルーモスクよりも少し古いタイルだそうで、特に「トマトレッド」と呼ばれる赤色は1500年代後半にだけ使われていたという珍しいイズニックタイルで今の技術でもこの赤色はだせないそうなのだ。
このタイルにはトルコの国花のチューリップをはじめ、カーネーション、菊、薔薇、ゆり等がデザインされ、そのいろどりの美しさは非常に印象深い。この素晴らしいイズニックタイルを全面に張り巡らせた内部は、はっとするほどの美しさであった。d0053828_14194837.jpg 
深く鮮やかなトルコブルーがふんだんに使用され壁の隅々まで見事なタイルで飾られている。
リュステム・パシャはこの時代 宰相であったため、大帝のように大きなモスクを造る事が出来なかったため内装に凝り、このように一面を素晴らしいタイルで飾ったという。


d0053828_1420595.jpgたくさんの小さな窓からは静寂でほのかな光が入り吊り下げられたたくさんのランプが一層幻想的に見える。これからの旅行者もこのモスクは必見だと感じたのは私だけではないだろう。お勧めだ!
さあ これで全行程が終わり。

バスで空港までゆくことになる。ここでトルコ名物といわれているサバサンドが配られる。
バケット風のパンに焼いたサバ、薄切り生玉ねぎ、そしてレタスを挟んだだけの単純なつくり。生臭そうなあまりよい想像はできない代物と思ってこわごわ食してみたところ、これが意外においしい!のである。でもいつも通り私には全部は食べられなかった。どこの国を旅行してもとにかく量が多すぎるから。残したものは後で始末をしようとそっとバッグにしまっておいた。
空港まで送ってくれたガイドのケナンさんともお別れである。私は例によって彼とハグをしてお別れの挨拶とした。ディッシュケルデリム!! ありがとう!!
PS:私は海外旅行をするとき必ず決まり文句のごく こんにちは、ありがとう、さようならの3つのあいさつを記した小さな手帳を持ってゆく。
その中にはもう既に10カ国以上のあいさつが埋まっている。
トルコでもメルハバ(こんにちは)は皆が 周知だったのでしょっちゅう使ったあいさつ言葉だったが そのほかにこの4つは覚えましょうとバスで移動中ケナンさんが教えてくれたトルコ語。

1.ギュナイドン        お早うございます。 
2.ナッスルスン        お元気ですか?
3.イーユン           はい元気です。
4.ディッシュケルデリム   ありがとうございます。


これらの一言一言を合う人ごとに使ってお互いの笑顔を持続させた。人との交流に役立つ言葉・・…これだけで十分。
アブダビで乗り換え空路帰国の途に就いたのは9日目の22時を過ぎたころだった。
エティハド航空を利用しての「観光のベストシーズンに行く10日間のトルコ」の旅は
翌日の午後1時すぎに無事日本に帰国して終わった。お疲れ様!そして ありがとう!

本当に良い旅でした・・・・・・・。
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by aakinishi | 2012-08-14 17:05

8日目  イスタンブル

昨日宿泊したアンカラのホテルを7時半出発。
バスに揺られて 約450km 4時間半かけてイスタンブルに到着。
2日目の午後 時間的に行けなかったバザールを含めチャムルジャの丘、ブルーモスク、アヤソフィア、ヒボドロームなど歴史地区を観光する。
昼食はドネルケバブ(トルコ料理の中でももっともポピュラーな料理の一つで下味を付けた肉を重ね、特別な垂直の串に刺し回転させながらあぶり焼きにしてから外側の焼き上がった層の肉をを大きなナイフで薄くスライスした肉料理)

イスタンブルはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがる都市でその中心を貫くボスポラス海峡は、黒海、マルマラ海、そして金角湾に注ぎ込んでいる。イスタンブルは、かつてローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国という3代続いた大帝国の首都だった。
実際、イスタンブルは、見どころが尽きないところと此処イスタンブルに居住しているガイドのケナンさんは言った。

イスタンブル歴史地区ビザンティンのキリスト文化とオスマントルコのイスラム文化の両方を備えた二大帝国の首都としてその最盛期を経験したイスタンブル旧市街は町全体が歴史地区として、ユネスコの文化世界遺産に登録 されている。

チャムルジャの丘   
d0053828_16154899.jpgd0053828_1623419.jpg最初に案内されたのはイスタンブルの絶景ポイントの一つとして知られるチャムルジャの丘。愛の告白の場所だそうである。
イスタンブルでいちばん高い場所(標高267m)にあるのでイスタンブルの街を一望できるのである。イスタンブルでは恋人同士のデートスポットでもあると独身のケナンさんは少し恨めしげ(?)に語った。丘にはバラの花売りがここで出会ったカップルの男性に恋人におくるようにと勧めていた。男性は勿論 彼女にバラをささげた。ほほえましい情景にあいほのぼのとした気分を味わった.d0053828_1632834.jpg









ブルーモスク
通称ブルーモスクとも言われるこのモスク、内部の壁を彩る青いイズニックタイルからこの名がついたという。1609年にアフメット1世によって着工され、7年かけて完成したという。世界でも珍しい、ミナレット(尖塔)が6本あるモスクとしても有名.。d0053828_1635055.jpg

モスク内は絨毯が一面に絨毯がしきつめられていて装飾がとっても綺麗で感動的!この絨毯を汚さないためにモスクに入る時は靴を脱ぐ。靴入れ用のビニール袋が用意されている。
美しい彩色があざやかな青のタイルとの調和に、はっとするほど。d0053828_16385628.jpg
1609年にアフメット1世によって着工され、1616年7年かけて完成。タイルのなかでも四角い柱部分のものは特別で、このタイルの模様は「7つの丘の花」といって宮殿の絨毯と同じデザインだそうだ。
装飾が素晴らしいドーム型の天井は神様がいる空を表していて、この大ドームの高さは43m、直径は27.5mもあり、周りには4つの小さいドームと30もの半ドームもあります。そしてドームには沢山の小窓やステンドグラスもあって柔らかな心和む光が差し込んでいる。
天井からはシャンデリアのようにたくさんの電球が円を描いて並べられていてこれはとっても幻想的.d0053828_16364658.jpg

ドーム型天井はその太さから「ゾウの足」と呼ばれている直径5mもある4本の巨大な円柱で支えられている。表面だけ大理石。

ブルーモスクの一番の特徴は世界でも珍しい、ミナレット(ミナレットとはお祈りが始まる前にお祈りの時間を市民に呼び掛けるために生歌を歌うための塔)が6本あるモスクとして有名。イスラム教の寺院、モスクでは メッカ以外は通常4本までしかミナレットを立てられないことになっている。

ではなぜ6本もミナレットがあるのかというと、スルタンアフメット1世が「アルトゥン(黄金)の塔を作れ」と言ったのを「アルトゥ(6)の塔」と勘違いしたことからこんなにミナレットが立ってしまったのだそうだ。聞き間違い?どこにでも起こりうる面白い話だと思った。

アヤソフィア
1600年以上経った今でも当時の面影をそのまま残しているというアヤソフィアとは「聖なる叡智」という意味で元来キリスト教の大聖堂である東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設されたもので、正教会の総本山となる。

「ビザンチン建築の最高傑作」として名高く、内部はとにかく美しい。様々に変容していった歴史の中で、時代の流れに沿って存在し続けて来たアヤソフィアは、現存する歴史を物語る存在価値の優れた類まれな博物館といわれている。厳かな空気に歴史の重さを感じる。ますますトルコが好きになる。


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3度も建て直されたとはいえ、このアヤソフィアは日本がまだ大和朝廷の頃に建てられたのだというから、いかに古い建築物かと実感した。

通常のモスクはミフラーブの位置が建物の中央に来るように建設されるものだが、このアヤソフィアは元々教会だったため、方向的にメッカの方向を向いていない。このためミフラーブの位置が右側にずれている
トルコ共和国に入ると漆喰で塗り固められたモザイク画も修復作業によって次々と表に現れアヤソフィアは美しいビザンチン美術とイスラム美術の傑作が混同する博物館となり。1985年には、イスタンブール歴史地区の一部として、ユネスコの世界文化遺産に登録された。

ヒポドローム 
  
ローマ帝国の時代に競技場だった場所。トルコの人々は(馬の広場)と呼んでいる。 

d0053828_10462974.jpgd0053828_10472187.jpg広場の中央には3本の柱が立っています。1本目の柱はテオドシウス帝(在位379~395年)の時代にエジプトから運ばれてきたもの、 2本目の柱はコンスタンティヌス帝の時代にギリシャから運ばれてきたもの、 3本目の亀裂の入った柱はコンスタンティヌス7世(在位913~959年)の時代につくられたものと伝えられている。

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広場の北側には1895年に友好の証として、ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世(在位1888~1918年)からスルタン、アブドゥル・ハミト2世に贈られたというドイツの泉があった。

ホテルへの帰路。ヴァレンス水道橋をみる。、トルコのイスタンブルにあるローマ帝国時代の水道橋の遺構。800mほどが現存している。

グランドバザール
d0053828_114519.jpgd0053828_1155996.jpg最初の日に時間の関係で行くことができなかった屋内市場、グランドバザールに行く。
渋滞で混雑している狭い道を長時間かけてやっとバザールのあるところに行き着く。入り口から眺めてもとてもエキゾチックな雰囲気でにぎやかできらきらしていて心がん弾んだ。
奥へ奥へと果てしなく続く通りはきらきらと明るいし、まるで別世界へ来た感じの賑わい。64のストリート、22もある出入り口に加え、3600を超える店舗が有るという。迷路のよう。一度曲がったら迷子になるから気をつけて・・・というケナンさんの注意を聴いているとき物凄いスコールに合う。中は屋根が有るから大丈夫。
入り口からド派手な色彩の店舗、何でも買いたくなるようなグッズがいっぱい並んでいるのに引き寄せられるように入る。買い物をしたくともあまりにも沢山の品物が並び何を求めてよいのか迷ってしまいまだきめかねているとき、そう30mほどしかすすんでいなかった時のこと。
この突然の大雨でバザール内の下水道から一気に水があふれ出し始めた。道路は汚れた水が流れ始め、店員たちが箒などでいくら対処しても水は減るどころか歩くところもなくなるようにどんどん増えて行くばかり、これは先が危ない!と思い私は早々に入り口に近いケナンさんが待機しているお店に飛び込んだ。これが正解。きたない水に触れることもなく、この私のとっさの判断にケナンさんンもお店の人も「賢い!」とほめてくれ奥へと入ってしまった他の人たちよりいち早くこの店でおみやげの買い物ができたのだった。しかもケナンさんが交渉してくれ安くしてくれた上おまけのプレゼントまでいただいた。
この大雨のことはホテルに帰ってテレビで知ったのだが全国大ニュースとして扱われていた。これも旅の思い出となった。
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by aakinishi | 2012-08-13 11:19

7日目 ボアズカレ ~ アンカラ

今日の予定はボスカレ(ボアズカレとは,「渓谷の要塞」という意味)の文化遺産ハットウシャシュ遺跡とヤズルカヤ遺跡を見学、です昼食はキョフテ(トルコ料理の肉団子)。その後約280kmバスで走りアンカラへ。

その前に今日は楽しみにしていた気球に乗ることになっている。
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一人22,000円・・・こんな体験はめったにできるものではない。
04:40にホテルまでバスがピックアップに来る。ホテルのロビーで待っている間に判明したことは参加者のうち半数が参加希望していたこと。
残りの半数の人たちは再度カッパドキアを散策するとのことだった。
20分ほどバスに揺られて着いたところは人でごった返すバス待合室。
此処で氏名と年齢を記入するようにと一枚の用紙を渡されそれにサインをした。
呼び出しが有る順にバスに乗り気球の出発場所まで送り届てくれるのだという。
待っている間にパンケーキとコーヒーが出る。それをいただきながら胸をわくわくさせながら待つこと約40分。やっと私達グループの名前が呼ばれ気球のある丘に行くことになった。
途中 いくつかの丘から気球が飛び立つ様子が見えますます心は高揚してきたのだった。15分ほど走ってやっと私達の乗る気球のある場所に着いた。
広い平らな地に大きな気球をふくらませるバーナーが置かれ火を吹いていた。
少しずつ少しずつ気球が膨らむ。しかし気球が丸く大きく膨らむのにはずいぶん時間がかかるものだ。気球は風に影響を受け、少しでも風が強くなったら飛べないとのこと。 心配だ。 風がでてきた・・・・。その心配をよそに大きく膨らんだ気球についている籠に乗るようにという合図がある。左右の籠に10人ずつ乗る。この籠に乗るのも一苦労である。すごく高さのある籠なのに乗るための足場がない。女性陣は皆に助けられてどうにか乗り込む。風の強さと音の大きさをまともに感じる。女性陣が乗り込み次の男性陣が乗り込み終った時だった!。その瞬間悲劇がおこった!!。
大げさかもしれないが悲劇である。乗り終わった瞬時に気球が風の向きのためか急にしぼみ始めてしまった。スタッフの人たちの懸命のケアーもむなしく完全に萎んでしまったのである。再度ふくらませてという参加者の願いもむなしく今日はもうこの風では無理だという。そしてせっかく乗り込んだ籠より降りるように指示が有る。乗り込んだ人たちからは落胆の声が上がった。
←これがしぼんでしまった気球d0053828_145636.jpg
気球は微妙な風の強さで飛べなくなるのだということを知った。
降りて空を眺めればいくつもの気球が飛んでいる。もう少し時間が早かったら今頃は私達もあそこに浮かんでいたろうに・…と思うと至極残念。気を取り直してホテルに帰る。不参加だった人たちには気球に乗って飛んだという経験談を語ることなく終わったが9時30分バスは今日の観光地 ボアズカレへ向かう。

ボアズカレ ~ アンカラ

ボアズカレにある世界遺産ハットゥシャシュ
遺跡群から出土した粘土板に描かれた楔形文字、象形文字の解読が、ヒッタイトに関する様々な史実を明らかにされた。今から4000年以上前の紀元前25世紀頃から世界史上初めて鉄器を使い、大帝国を築きあげたヒッタイト人が暮らし、紀元前18世紀頃には王国を築いた場所である。
ハットゥシャシュは一時期、エジプトをも倒すほどの力を持っていたという。ケナンさんは此処でヒッタイトのことを旧約聖書 などからの引用を含め一番古い言葉はヒッタイトから始まったこと、初めて戦車を作ったこと、などなど沢山沢山語ってくれた。この話を聞きながら私は」旧約聖書を読んでみたくなったほどである。トルコは素晴らしく興味を引く国!として私の脳裏に収まった。
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ライオン門  町への入口となる6か所の門のひとつで、
もともとはアーチになっていたそうだ。玄武岩でできていて、左側は損傷が激しいため一体何なのかわからない程の状態であった。
門を通り過ぎると広大な景色が目に飛び込んでくる。ここからケナンさんは主要ないせきの多くの説明をしてくれた。
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d0053828_14391163.jpg左の写真は突撃門    高い城壁を作りその下にトンネルを作り、これはそのトンネルの入口門で、ここから兵士たちは戦いに出かけたという。ひとつひとつの岩は大きく、中は真っ暗であった。
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右の写真は  ピラミッド型城癖
石灰岩ブロックを人工的にピラミッド断面状に何十段も積みあげた城壁。高さは20m、全長は250mもある。このピラミッド斜面は横に階段があって、登ってゆくことができる。


王の門
戦士のレリーフはレプリカで、本物はアンカラのアナトリア文明博物館に展示されている。
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大神殿
土台だけ残っていた 。大神殿の入口にある貯水池、大神殿の倉庫と貯蔵用のカメはしっかりとのこっており余りにも古い歴史をいまここに見る事を不思議にさへ感じたのだった.

尚、ケナンさんの説明によると此処で紀元前13世紀には世界最初の平和条約がエジプトとの間で結ばれた場所だという。荒涼とした広大な土地には神殿や住居、城塞などが有ったが現在残っているのはいくつかの門や城門の一部だけで、他のそれらの跡形は大小の石がそこかしこに残っているのみではあったが。岩石で作られた大神殿跡も目の当たりにし、丘陵地帯に散らばる多くの遺跡は古代王国を想像させるのには十分であった.d0053828_1734066.jpgd0053828_17394765.jpgd0053828_17402440.jpgd0053828_1741076.jpg




もっと長時間いてケナンさんの語り足りないという話を聞きながらここに残っていたいとも思った。トルコは凄い!!心残りながら次の場所ヤズルカヤへ。







ヤズルカヤとは,「文字の刻まれた岩場」という意味で、 ここはヒッタイトの聖地で,岩場をそっくりそのまま利用した露天の神殿で,ここで宗教的な儀式が行われていたという。

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堅い岩に細かく刻まれたレリーフから当時の祭儀の様子がわかる。
ヒッタイトには千の神々をもつ国といわれ、左右の岩には多くの神々が描かれている。
写真は何枚か取ってはきたものの説明を聞いたのに何故か詳しく聞いた話が思いだせない物が多く今回は一つ一つの説明を省き写真で思い出を刻んでおきたい。


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d0053828_17504273.jpgトルコ旅行をしてよかった!と心から思える今日で7日目。
明日はイスタンブルへ戻り2日間をすごせば帰国。
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by aakinishi | 2012-08-10 14:52

6日目: 早朝の出発でコンヤを後にしてカッパドキアへ。

今日は待望のカッパドキヤへ。  

途中 230km程走ったところで停車してスルタンハーヌ(隊商宿)を見学。
かっての東西文化の交流に大きな役割を果たしたのがシルクロードである。写真は当時、シルクロードを往来した商人たちが宿泊したスルタンハーヌの隊商宿である。出入り口は正面にあるものがひとつで、明るいうちだけ開いている。

いよいよ待望のカッパドキアへ。
カイマルク地下都市、ウチヒサール、パジャパー、スリ-シスターズ、アヴァノス、ゼルベ、,ラクダ岩、クルチュウラル谷と見どこらろ満載、

カッパドキアは、標高1000メートルを超えるアナトリア高原中央部に、100km²近くにわたって岩石地帯が広がる台地で、キノコのような形の奇岩が林立し、巨岩がそびえる景観はまさに自然の驚異であり圧倒される景観であった。この不思議な風景は、柔らかい地層と硬い地層が重なり合い侵食されて生み出されという。3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住み、柔らかい岩をくり抜いて住居や教会をつくったのだという。住居跡に入って見た。

d0053828_15393894.jpgカイマルク地下都市キリスト教徒たちは敵から一時的に身を隠す場所を地下に求め住んだという。それが1965年に発見された地下都市である、地下8階、深さ65メートルに及ぶ巨大なもので、地下1階のワイン製造所、地下2階の食堂、居間、寝室、収容人数に合わせて自由に掘り進められ、地下5階をつなぐ通路には、外敵が襲ってきた時通路をふさぐため、1トンもの大きな石を転がして通路を閉じる仕掛けもあった。暗い通路を懐中電灯の光を頼りに歩き進むのだがそのわきに違う通路が枝のようにわかれていて一度曲がったら迷子となってしまいそうに複雑であった。そして、最下層の空間は十字架の形に掘られた教会になっていてキリスト教徒たちは、地下都市の一番底に祈りの場を設けたという説明であった。
とにかくケナンさんの説明は詳しいうえにわたしたちの興味をそそるような妙味ある話が実に印象的。
それともトルコという国が特別なのかもしれない・・・・とも感じたのだった。

d0053828_15492962.jpgd0053828_15444997.jpgウチヒサール
カッパドキアの中でも最も高い地点でもある「ウチヒサールの要塞」は、一帯の雄大な自然が一望のもとにできるポイント。ウチヒサールとは「3つの要塞」という意味だそうだ。
一見、ただの岩山のように見えるのだが、かつては敵の侵入を防ぐために使われていたとか。大きな城塞からはカッパドキアのすばらしい景色を見ることができた。3角形の大きな二つの岩は人間の手が加わっていない全く自然の形で残っている。奇岩が点在する広陵とした大地にスリ-シスターズと呼ばれる、3人娘が寄り添うように並ぶ姿に似た奇岩があった。面白い!実に面白い!ゼルベ、

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カッパドキア観光のハイライトスポットであるといわれるパシャバー地区のゼルベの谷。
パシャバー地区には有名な「キノコ岩」が立ち並び、煙突の形に似ているこれらの岩は中に妖精が住んでいるという言い伝えから「妖精の煙突」ともいわれています。バスの車窓からゼルベの谷の奇岩群が見えてきたときは思わず絶叫に近いほどの感動の声が出たほどである。
デヴレントは「イマジネーションの谷」と呼ばれるほど、さまざまな形の岩が集まっていてこの場所はらくだの形をした岩があることから らくだの岩とも呼ばれている。
ここにくる観光客はまずこのらくだの岩の前で記念撮影するという。ここで妙なアイスクリーム屋に出会う。大きな声を出しながら両手で持った長い棒で頭上まで長くのばし他アイスクリームを最後にコーンカップに入れて売る派手なおじさんの存在だった。
d0053828_15524618.jpgd0053828_155633.jpgクルチュラル谷
は「刀渓谷」とも呼ばれる先が鋭い奇岩がたちならんでいた。色々な写真でカッパドキアのことは知ってはいたもののこれほどのものとは知らず驚きと感動の連続の地であった。
カッパドキアを後にして洞窟レストランんでます料理の昼食。
アヴァノス
カッパドキアはヒッタイト時代より陶器の原産地としても知られているようで、ここアヴァノスはその伝統を受け継ぐ町。アヴァノスのすぐそばを流れるクズル川(トルコ語で赤い川という意味)の粘土質の土を材料に素焼きの花瓶や食器などを焼いているという。d0053828_1723894.jpg

次に陶器工房へ。美しい色彩と模様で焼かれた陶器たちが私を日本に連れてって!と言っているように立ち並んでいた。
高価なものからちょっとお土産くらいに・・・と思われる値段のものが所狭しと立ち並んでいる。
トルコの国花はチュウリップであることを知ったからか美しい陶器が沢山、沢山 並ぶ中でひときわ私の心を掴んだもの・・・・・それは赤いチュウリップがデザインされた小さな壁掛け。 この小さな壁掛けを自分への土産にした。

途中もう一か所 トルコ絨毯工房へ案内された。ここでトルコの紅茶とワインをご馳走に鳴りながらたくさんの絨毯を見せてくれ説明をしてくれた。
私は以前 中国に行った時も絨毯工房にたちより、そこで絨毯の説明をきいた。中国のものとは糸などは異なるが矢張り高価なものとそうでない物が並ぶ。二者択一形式のクイズを出され、結果的にその見分け方も少し理解できた。d0053828_17251695.jpg

中国を訪れた時 山繭の糸を織り込んだ物(少しグリーンがかった色が特徴)をそれなりに矢張り高価ではあったが随分値引きして購入した事を思い出した。現在其の絨毯を使っているが山繭の糸はとても貴重なものらしく、光沢が他のものとは違い角度によって色が変わるのが美しい。

<とにかく今日は自然の力と人の力の大きさ、強さをまざまざと見たり聞いたりできいろいろな驚きと感動のあった1日であった。  今夜の宿泊は洞窟ホテル。 部屋のい中がさっき見てきたカッパドキアの洞窟のようにしつらえてあり再度雰囲気を味わえた。夕食は部屋を出たところにあるがそのレストランの背景がカッパドキアの一部なのには又また昂奮させられた。d0053828_1742057.jpg 

左の写真は今夜宿泊するホテルのレストラン前 
カッパドキアの洞窟群を背にして・・・・

明日は気球に乗るOPに参加希望した。・…楽しみ!!
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by aakinishi | 2012-08-05 15:48

5日目: バムッカレ~コンヤ観光

d0053828_16514651.jpgトルコの国花はチュウリップだそうでそういわれれば 街のあちこちには其のかわいい姿が彫刻になったり、陶器に描かれたり額の中の絵になったりとそこかしこでみかけていたのをいまさら思う。
今日の観光はヒエラポリス遺跡、石灰棚、バムッカレテルマルへ。その後コンヤへ…の予定

パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味で昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地であったそうだ。

トルコ西部にあるユネスコの世界遺産パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡がヒエラポリス遺跡である。
パムッカレは石灰華段丘からなる丘陵地の名前であり、2世紀頃、ヒエラポリスというローマ帝国の都市が存在し、現在は遺跡が残る.
雪山のように見える石灰華段丘を裸足になって歩く。つるつるしたところを歩くと滑って転びそうだ。考えればこの広く広がった石灰の丘はどのくらいの年数を経てきたのだろうか?唖然とする。d0053828_16401783.jpg

バムッカレ観光後コンヤへ。昼食はトルコ風ピザ。薄い生地に具を乗せたもの。
昼食はトルコ風ピザ。薄い生地に具を乗せたもの。
日本でのピザのほうが舌に合っている。今日まで食したトルコ料理はまずいと思ったものはなかったがこれといって特別うまいものもなかったように思う。 
本でのピザのほうが舌に合っている。今日まで食したトルコ料理はまずいと思ったものはなかったがこれといって特別うまいものもなかったように思う。 

コンヤ着後の市内観光はメブラーナ博物館、インジインジェ・ミナーレ
メブラーナ博物館はトルコ石の色に似た緑タイルのとんがり屋根を持つ塔が印象的。 d0053828_1714859.jpg
メヴラーナとは「我が師」という意味でジェラルディン・ルーミーを指す。独特のスカートをはいたような姿で旋回して踊る世界的に有名なメヴラーナ教団の創始者ジェラルディン・ルーミーをはじめとする教団の発展に尽くした名僧たちの霊廟、資料室や修行場などがある。旋回舞踏は禁じられたが再開され、現在は12月に大手ホテルなどで旋回舞踏ショーが開催されるようになったとのことだった。

このメヴラーナ博物館で最も有名なメヴラーナの棺は沢山の装飾が施されていて美しい。
棺の上に置かれた帽子の色や形で、イスラムの僧侶としての階位の高さが表されているのだという。

 また、霊廟の隣の資料室にはマホメット(ムハンマド)のあごひげを納めた小箱も展示されており、信者の女性が両掌を上にして其の箱の前で両手に何かを乗せるようなしぐさをしながらながいこと御祈りをしていた


その他にも、大小様々な美しいコーランの写本、999個の珠を連ねた数珠なども展示してあり、目と心をうばわれた。そのまた奥まったところにはたくさんの絨毯が飾られていて、これらは、ひじょうに古い物で、とっても貴重な物という。

私自身は無宗教みたいなものだがこのようなところで様々なものをみたりきいたりすると自然におごそかな気分になり祈りたくなるのも不思議なことである。
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by aakinishi | 2012-08-04 17:12