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南三陸視察の旅

2012年(平成24年)10月8~9日の2日間、私の属している「船橋市海外女性セミナー友の会」のメンバーで昨年3月11日の地震と津波の被害にあった南三陸を視察した。

宿泊先の南三陸ホテル観洋に近づくとバスの車窓から眺められる景色があの日の爪痕を残した様子が否応なく目に入ってくる。がれきの山があちらこちらに点在している。d0053828_2145542.jpg
 
テレビから流れたあの日の壮絶さが伝わってきて自然に涙がほほを伝わってくる。
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ホテル観洋に着いてから荷物を部屋に置いてすぐに南三陸町の「ホテル観洋」の女将 阿部憲子さんのおはなしをきくことになっていた。
安部さんは丁寧なお辞儀で私達を部屋に迎え入れて下さった。
自らも被災しながらホテルに600人の被災者を受け入れ、衣食住を提供し続けたおかみの話は感動的であった。
被災直後はとにかくあるもので1週間の献立をたて供給した。しかし従業員は一つの物を分け合ってしのいだという。
情報集めはラジオのみ・・・しかも電気の節約のため時間を区切って聞いたという、一番の問題は水の確保だった、4か月もの間水のない生活は大変な苦労だったという。3月11日といえば東北はまだまだ寒い季節。水がないから川で洗濯をする。穴を掘って作ったトイレの話などなど被災者の当時の生活の様子の話はズーンと胸を突いた。その後 ホテルの中に図書館を作ったり、ボランティアの大学生を先生にした寺子屋を作ってそろばん、英会話など子供たちが勉強できる環境を作り復興支援に力を注いだ女将。
偉い!!素晴らしい器量!

女将は言う。1000年に一度の学びの場だったと・…。
最後に言った。自分の命は先ず自分で守ることです
そして私達に出来ることは何かと尋ねたら
1.とにかく現地を訪れて下さい。
2.(口に入るもの)風評に惑わされずにしてください。
と言って話を結んだ。

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翌日は人口1万7000人のうち、死者行方不明者1000人、町の建物の7割が流された宮城県南三陸町を視察。町の姿はなく道路の両脇は平坦なコンクリートの土台だけが残る、あちこちに見える車の残骸の山、がれきの山が続いて見える道をバスは行く。バスに同乗された語り部の話・…鉄骨だけが残った「防災対策庁舎」・・・最後の最後まで「避難してください、避難して下さい」とアナウンスし続け果ては波にさらわれて亡くなられた女子職員のこと、上司3人のみが助かったことへの市民の感情、東北被災地の中でも被害は大きく役場や病院、警察など公的施設も全て津波で流され、その時の様子などを語ってくれた。
「防災対策庁舎」には訪れる人が多く千羽鶴や子供へのためであろう沢山のぬいぐるみや手創りの物が所狭しとそなえられていてその前で手を合わせる人たちの姿にまたもや やるせなく悲しい思いでいっぱいになった。
その語り部は締めくくった。

一つ、 逃げる勇気を持つこと。(先ず自分の身を守ること)
二つ  生きるという強い気持ちを持つこと。
三つ、 決してあきらめないこと。


その後に間口一間ほどの簡易的につくられたプレハブの商店街に立ち寄り少しでも復興の一助になればの思いで、皆それぞれに沢山の食べ物や雑貨などを購入した。

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私の購入してきたものの一つに("絆”きっと 幸せになろうね。南三陸町)という文字を入れた手創りのリースが有る。私達の脳裏に残すため、そして早い復興を願いながら今我が家のリビングの壁に掛けてある。


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儀援金の使い道はどうなってるの? 
憤懣やるかたのない思い・・・

早い復興を! これが切なる願いである。

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by aakinishi | 2012-10-29 23:35 | Trackback | Comments(0)