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「いい加減」

私は「いい加減」とは 「良い加減」 「適当」 という意味と理解しているが、どうなんだろうか?

「適当」というのも文字ずらからしたらそんなに悪い意味ではない!と思っている。

「いい加減」は使われるそれぞれの場面で比較的良い、 比較的悪いの両方の場合があるのではないだろうか?
例えば兄弟げんかをしているとき親が「いい加減にしなさい!」というのは、「その辺でやめておきなさい」という意味で言うのではないかと考えると「いい加減」は良いという事になる。

中心のただ一点ではなく、「大体この辺」 というくらいの幅があるように感じるのである。

また、適切と適当を考えれば適当は「いい加減」で 適切は「最適」ということになるのではなかろうか。

例をとって言うならば、仕事などでは「適当に(いいかげんに)」する というのは、適切(最適)に比べて「いいかげん」は悪いという事になる。しかし仕事の内容次第では最適を要求されないものもある。「良い加減」で終わらせてもよいものがある。

ゆえに「いい加減」とは全く掴み所のない言葉でもある。

いつか自分の属している組織の中で「ここはいい加減だから・・・…」と発言したらそこの長にムッとされた。彼は私の発言を理解していないなと直感したが、これはきっと悪い意味にとったのであろう。ということは彼は彼なりに長としてその組織を過小評価していたのであろう。私はすごく良くもなければすごく悪くもない組織と考えての発言だったのではあるが……。

私はだいたい「いい加減」な人間だから物ごとをくよくよ考えない。だからストレスをあまり感じずに生活している。しかし、いい加減ではあるが曖昧ではない。人には理解できるかどうか分からないが自分なりに筋を一本通した中でのいい加減さがある。

「いい加減」も文章で表現するのは難しいがそのイントネーションによって少し意味合いが変わってくるのではとも感じる。 そして私の場合はイントネーションに凸凹がない「いい加減」なのであると自分は思う。

答えを一つに絞らない。右がだめなら左。前がだめなら後ろ。引いてだめなら押してみる。
完璧主義ではないのに結果オーライなのである。

この様に常にいい加減に融通性をもって物事に当たっている私であるがゆえに、融通性のない人の仕草にはウンザリすることも多いのは事実である。 

まあ、結局は「完璧」を求めずに結果が完璧になるのが理想的であると感じた昨今である。
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by aakinishi | 2014-02-25 10:26

2014年の始まりの吉報

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私は油彩を描くこと既に30年以上にもなる。公募団体「新魁樹社」の会員として毎年出品していた。さまざまな受賞もさせていただいた。しかし展示会場が上野から六本木の新国立美術館に移行した時、何とはなしに心の中で国立への出品は4~5回続けた後退会しよう・・・・と考えていた。

理由はいろいろだが、先ず自分は何を目的に絵を描くのか?何を描きたいのか?大きな展示場に出すために大きな絵を描かねばならないのか?この大きな絵を何処かの大きな壁に飾ってもらいたくて描くのか?
本当に楽しみながら制作ができているのか?色々な煩悶があった。そしてこれ以上 会とのしがらみを深くしつづけなくてもよいのでは?狭い壁でも飾ることが出来其の絵が癒やしとなるものであれば・・・・と考えて退会を決心した。 これを機に一人の「絵かき」として再出発をした。

毎年 市の美術連盟の会員展出品、市展への出品、いろいろなグループによるグループ展への出品、個展を2年に一回そして時には美術誌に投稿、・・・というサイクルで回っている。だからこのように年に5~6回の出品となるわけであるが、それでも結構忙しい。

昨年の10月末ごろ有るアート雑誌社から電話があった。それは「bun ten」(文化展望)という美術誌だった。

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2年ほど前に「花美術館」という美術誌に掲載された「白い花瓶」をイタリアのピエールジャコモ・ペトリオーリ教授が目にしたという。
このタッチの絵にコメントをつけて是非出品してほしいと言ってきた。

何時もこのようなお誘いはいろいろ面倒なので気乗りがしない為断っていた私である。しかし何故かこの時何となく心が動き、100%良しという気持ちではなかったものの出品してみることにした。
色彩のことで2回ほど校正をした時点で納得をする事にした。

12月末、担当者から電話があった。「本が12月31日発行となりました。来春より各本屋さん、図書館、各美術館におかれます。そして奨励賞として盾をおくります。」
ということだった。


数日後 私の絵も掲載された 誌「bun ten Vol,48」と共に世界芸術文化交流会イタリアのピエールジャコモ・ペトリオーリ博士という方からの藝術奨励賞なるものが送られてきた。そこには日本語と英語でのコメントが有った。 

コメントは以下の通り。

「光と陰による生物の表現が画家の見た光景をより印象的にさせている。画面にはみだすほどにモチーフを捉えていることも、作家が当時の花のみを描くという思念が強かったことを窺がわせ、無心に描いたことによって、鑑賞者にイメージを委ねることに繫がっているように思える。」

文◎ ピエールジャコモ・ペトリオーリ。

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ピエールジャコモ・ペトリオーリ博士は元国立フィレンツエ大学美術史教授であり現在はオレゴン州立大学芸術学部イタリア校美術史教授及びシエナ美s館学芸員など美術関係の教育者として活動しており、特にジョルジオ・ヴァサーリの「美術家列伝」の検証の第一人者としても著名である。ということだった。

* そして今回は彼の一念に従い、美術による教育や社会貢献に従事されるとともに世界的活動を行う美術家を「ピエールジャコモ・ペトリオーリ藝術奨励賞」として表彰し、その作品をここに紹介する。*  とあった。

これも一つ、私「西口晶代」という人間が生きていた証しとなるわけでもある。そう考えて素直に喜んで受け取ることにした。でも我が家にはこの副賞の盾を飾るにふさわしい部屋が見つからない。私のアトリエは絵と書のもので入り混じったごッた部屋だから・・・・苦笑い。


 
まずは2014年の初春の吉報であった。 こいつは春から縁起が良いわいとなればよいが・・・。
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by aakinishi | 2014-02-12 16:12