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青天の霹靂のその後

青天の霹靂がおこった2012年の10月初旬より私の今までの生活は一変した。
でも「これが人生」と割り切れば 慣れるものである。
自分の自由がなくなっても決して不平不満はおこらない。

何かに集中することは、たとえ自分に課すそのものが何ゆえであろうとも自然に頭からつま先までが反応し 成せるものである。懸命になるものである。

それでも元気印の私が元気を失ったように見えるのか それを察知した周囲の人があれやこれやと心配してくれる。
有難くもあり嬉しいことでもある。そんな親切な行為に反することの無いように自分を律し決して後ろを振り向かず、常に前向きに事に対処しなければ・…と思う日々でもある。

先日もX’mas Partyと称して集まってくれた人々に囲まれて元気を頂いた。各国の美味しいお料理と楽しいおしゃべりと・・・幸せな時間だった。
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夫はシスプラチンとアリムタという2種併用の抗がん剤治療の入退院を6回クリアーしたのち、次はアリムタ一種の抗ガン剤点滴治療を3週間おきに通院で既に8回行った。
血液検査の結果の心配要素である白血球はそれほどの減少も無く標準値のうちに収まり、ただしびれと難聴が増したこと以外の副作用は起こっていない。
これは一重に細身の彼の体に似合わぬ強い姿勢と、落ち込まず、前向きで、小さなことに拘らない大局的に物事をとらえる私の性格と、毎日摂取している健康食品の賜物ではないかと考えている。
夫の免疫力が続く限り抗がん剤治療は続けられるわけであるが、7月以降は彼の癌は大きくも小さくもなっていない・・・・ということはという疑問が有って私はある日、担当医に質問をぶつけた。答えは唯そっけなく」「好いことです」ということだった。更に聞きたかったが止めておいた。医者も人間だからくどくど聴いてご機嫌を損ねることにもなりかねないことだし今はインターネットという優れた代物が全てに答えを出してくれるので後でひそかに調べればよいと思ったからだ。

目下 夫の癌細胞は休眠中なのである。だからこれ以上にがん細胞が悪さをしないように衣食住すべてに心をくださなければならないのだ。現在の夫はどこも悪くない人のように見える。普通に寝起きし、普通に食し、長時間だと疲れるらしいが散歩もし、時々は好きなダンスにも出かけている。QOLは病気発覚前と少しも変わっていない。こんな夫の姿に接していると、この状態が長く続いてくれれば良いと思う次第でもある。

それでも夫自身が決意した事が有る。其れは「終活」の一環として先ず外に向かい年賀状を出すことを2014年を持って止める決意をしたことだった。

実のところ 何となく寂しい気もして少し躊躇したものの私も彼に便乗して止めることにした。実際 理由を何百枚も書くことは疲れたが一人一人にコメントをして会う機会を大切にしたいと記し、理解を求めた。
新しい年は 平穏であってほしいと心より望むところである。

by aakinishi | 2013-12-25 17:09
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