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私の心の動揺も安定したところでカミングアウトする決心をした。一体何を?というところでしょう。
実は私の夫が肺腺がんだと診断を下されて既に7カ月を過ぎようとしているということ。 私は「がん」という言葉の響きが大嫌いである。この言葉で病名を告げられた患者とその家族の全ての人が 多分 心に「がーーん!!」と 痛く切なく響いたに違いない。 私ももれなくその心境の一人であった。最初聞いた時は声すら出なかった。ただ言葉のみを無表情に受け止めただけであったと記憶している。 その後の2~3日は自律神経がどうにかなってしまったのか身体の震えが止まらない状態が続いた。 私自身このような自分になるとは想像もつかなかった。 色々な検査の結果、右肺の上葉部に6cmの腫瘍、中葉部から下葉部にかけ転々と小さな影が点在。 これが何なのかわからない。この正体を突き詰めなければ治療法が決まらない。色々考えてまずこのグレーゾーンの異物の正体が何なのかを調べるための手術をするという。 組織をとり 即 病理検査にまわしこのグレーゾーンのものが良性であれば上葉部の腫瘍を切除する手術になるとのこと。しかしこのグレーゾーンの物の正体がすぐには分からず改めて病理検査をするという結果であった。 この検査の報告までは「どうか良い結果であってほしい」と心より祈る思いであった。今思えばこの間の焦燥感は普通ではいられなかったような自分であった。 結果は残念ながら黒。しかも腺癌の中でも珍しいらしい「印環型細胞がん」というものであった。 藁にもすがる思いでネットで調べた最近の最も進んだ治療法の重粒子線、陽子線のことも担当医に相談したが夫の場合はそれすらできないとのことだった。既に手術はできないし放射線治療も不可、残された治療法は抗がん剤治療のみ。 今思い起こせばその時点で理性を失うまいと必死だったように思う。 75歳になろうとしている夫の治療は4回の抗がん剤治療しか残されていなかったのである。 調べれば抗がん剤にも色々な薬が有る。担当医からは標準治療である2通りの併用療法が示された。 プラチナ製剤のシスプラチンと代謝拮抗薬のアリムタ、または カルボラチンとアリムタであった。癌と分かった時点で色々調べたので夫は自分でシスプラチンとアリムタ併用の治療を選択した。 1週間入院し、2週間在宅を1クールとして4回。副作用の予備知識も持ち治療に望んだのである。予備知識で得ていた副作用の切なさは相当なものであったのだが 夫の場合 私の見る目、感じる目では多分随分軽かったように思う。面接の時に担当医にその旨を話した。担当医いわく「奥さんがそう思われても この辛さは本人しかわからないですよ」と苦笑されていた。 尤も然りである。これには私も苦笑を禁じ得なかった。がまん強いパパに「ご免!」と心の中で謝った。 4回という治療が済んだところで面接した際 確かにモニターを見ると癌細胞は小さくなり影の色も薄くなっている。 担当医は「ここまで良くなってきているのでもう2回同じ治療を続けた方が良いと思いますよ」とおっしゃった。 75才になろうとしている夫に6回の治療に耐えることのできる体力が有るということがわかったことは 私たち二人にとって喜ばしいことでもあった。 6回目の治療は5月13日より1週間入院、5月20日退院、その後2週間在宅といういつものパターンの計画で終了した。 骨髄抑制(白血球が大幅に減少)のピーク時の昨日5月27日に面接。この後の1週間で骨髄抑制という副作用はだんだん良くなってゆくのである。採血の結果は 全てが心配するほどのものではなかった。「大丈夫ですよ」と担当医から聞くこの言葉でほっとする瞬間を何度味わったかな? 毎度毎度 不安であり少しでもよければうれしいし、数値によって一喜一憂を味わってきたのだから・・・・。 次は5月31日にCTをとり、その結果で次の治療法が決まるという。 入院中は毎日私自身のお弁当を作り、病院食が不味いと言って一箸ぐらいしか手をつけない夫の為に少しでも食べられる物をと思って食べられそうなものを少しだけ作って病院に持ってゆく毎日であった。点滴で自由に身動きできないような姿の夫と病室で二人むきあって食事をし、どのくらい食べられるかを秘かにチェックする日々でもあった。 退院後の2週間は夫のためだけを思い病気に対する知識を集めたり、免疫のつくような食事の準備をしたり、まるで新婚時代に戻ったような生活でもあった。 結構楽しみながら充実感さへ味わいながらの期間でもあった。(笑) 心に動揺のあった期間は 色々なところに御無沙汰をしてしまい、色々な人に心配していただといたりしていたが 今現在、二人の心は落ち着きに満ち、病と面と向かって付き合う覚悟もできた。 この病は奇跡でも起こらない限り完治するという類いのものではないということも承知している。 今、うれしいことに薬が効いているのか夫自身が頑張っているのか良い方向に向かっていることは確かである。「病は気から・…」現在夫は表面上は元気である。この元気が少しでも長く続くように!そして出来得ることであればどうか奇跡が起こりますように!と祈る毎日でもある。 二人が年老いて 手をつなぎながらゆっくりと散歩する姿はもう少し先のことかと思っていたが ちょっとだけ前倒しになってしまったと思えばそれでよい。 これから二人が元気でいられる期間がどれだけあるのかは神のみぞ知るではないが、とにかく今、今という時を大切にして 出来るときに出来ることをやろう!今でしょう!という思いを胸に日々率先して行動しようと心に決めている一組の夫婦の私達である。 二人に一人が癌という病を患う時代に生きて・・・・・・・・。 ■
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by aakinishi
| 2013-05-28 23:23
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